その頃は、高校時代の同級生と週末は遊んでいた。
そのうちの1人が医者の息子で、六本木にマンションを持っていた。
そのうちの1人が医者の息子で、六本木にマンションを持っていた。
そこへ、幾度か、週末寝泊りに行ったのを覚えている。
六本木といえば、当時、マハラジャが最盛期を迎えていた。
俺も、19歳のガキだったが、背伸びして、
着飾って、ディスコへ、そのマンションから野郎だけで、繰り出した。
あの頃は、ナンパした女の子に「20歳ぐらいに見える」とか
大人に見られるのが嬉しかった。
着飾って、ディスコへ、そのマンションから野郎だけで、繰り出した。
あの頃は、ナンパした女の子に「20歳ぐらいに見える」とか
大人に見られるのが嬉しかった。
マイケルのスリラーが、発売になる頃だった。
ディスコでは、マイケルナンバーが、次から次へと流れていた。
ディスコでは、マイケルナンバーが、次から次へと流れていた。
それと、映画では、「フラッシュ・ダンス」が人気で、当日券の立ち見しかないブレイクだった。
どこかでか、大学なんてどうでもいいと思っていた。
今を完全燃焼させたくてしょうがなかった。
今を完全燃焼させたくてしょうがなかった。
そして、この年になった今も、サダチルは、
何やっても完全燃焼しないと気がすまない中年なのだ!
何やっても完全燃焼しないと気がすまない中年なのだ!
高校1年のとき、ジョン・レノンが凶弾に撃たれ世を去った。
やがて、ブラック・コンテンポラリー、モータウンと、
黒人の音楽が、こうした若者の蔓延るディスコ辺りから、受け入れが始まったのではなかろうか?
ディスコで踊る男のうち外人の船乗りの連中をよくみかけた。
腕に、舟の碇(いかり)の刺青をしていた。
こいつらが、こうした中南米の音楽を持ちこんできたともいえる。
黒人の音楽が、こうした若者の蔓延るディスコ辺りから、受け入れが始まったのではなかろうか?
ディスコで踊る男のうち外人の船乗りの連中をよくみかけた。
腕に、舟の碇(いかり)の刺青をしていた。
こいつらが、こうした中南米の音楽を持ちこんできたともいえる。
このジャケット懐かしい。御茶ノ水のDisk Unionで、当時、買った。
しかし、何か、今日はこの夏、一番の暑さで、
4時間テニス。
顔が、もう炎症おこして、真っ赤だ。
4時間テニス。
顔が、もう炎症おこして、真っ赤だ。
音楽で成功し、大金手に入れたって、
マイケルも、ジョンも所詮、偏屈者だったのかもしれない。
マイケルも、ジョンも所詮、偏屈者だったのかもしれない。
今、こうして、近所で、ぶらり、週末、テニスでもして、
酒飲んで平凡に暮らせていることが、
そんなスーパースターからの「平凡であることが幸せである」という形見わけを得たのかもしれない。
酒飲んで平凡に暮らせていることが、
そんなスーパースターからの「平凡であることが幸せである」という形見わけを得たのかもしれない。
明日もまた、俺は意味も無く、近所へ、自転車漕いで、
炎天下で、皆で、麦茶タンクで給水しながら、テニスをしているだろう。
炎天下で、皆で、麦茶タンクで給水しながら、テニスをしているだろう。
そして、気が向けば、ギターでも弾いて、歌っているだろう。