3.11の大地震、過ぎたことだね。
アメリカの9.11以上の、被害だ。
俺にとって、3.11は、何の日かというと、去年の秋から、着手していた、大きな仕事の打ち上げを予定していて、
お客さんと飲むことになっていた。
その当日に、あんな大地震が来るとは、思いもしなかった。
あえなく、宴会は、中止となった。
2週間後、結局、お客さんのほうから、改めて、一席もうけましょうと、
ご要望があり、水道橋の焼き肉屋へと出向いた。
ここは、中央線を挟んで、東京ドームと反対側のあたり。
日本で、初めて、松坂牛を焼き肉屋として、販売を許可されたという名店だ。
味は、説明するまでもない。
沈みきった日本。まさに、沈没した。
しかし、いつまでも、大地震の傷痕を、負ったままでは、どうにもならんだろう。
もう、前へ進むことを考えるしかないのだ。
そういうわけで、侘しい、夏の日本。
明日は、ぱっと、景気づけに、松坂牛、焼き肉食いにいくぞ!
いつまでも、過ぎた日を、悔やんでもしょうがない。
前へ進もうじゃないか。
戦後日本が、大空襲の焼け野原から、立ちあがったときのように。
大地震の直後、最近、テニスで、ご一緒している
ご夫婦と、テニスへ向かう車中で、
サダチル「自分は、大地震の日、すぐに、非常食を買いに、走りましたよ」
というと、ご主人が、
「僕は、素直に、被災地へなだれ込みまーす」と。
このご主人、大地震の日、仙台へ出張し、その後、大阪へ向かう、飛行機へ乗り込んだ矢先だったという。
あわや、仙台空港で、被災かという状況を免れた。
でも、極論を言えば、どうせ1人で生きられないから、
被災地へいつでも、行くつもりで、生きていないといけないのかもしれない。
準備をしてても、あんな津波がきたら、何もかも失ってしまうんだから。
自分の身を守ることばかり考えて、次の手を、打つことを考えないで、
躊躇しててもしょうがないってことだ。
俺も、かつてより、たくさん、テニスして、新しい、仲間と、
前へ進んでいる。
一所懸命、生きている人が、こんなにも、たくさんいると気付いたから。
万全の設備なんて、人間には創れはしない。
微量に、浴びることを前提として、始めた、過ちじゃないか。
それより、明日なにやろうか、とか、どこへいこうよ、とか、
そんなことをやりとりして、前へ進むことが、せめてもの救いだ。