待ちに待ったGWが終わり、いつもの日常がスタート!
5月は、一年のうち好きな季節だった。特に、GWから梅雨入り前までの、のどかな雰囲気が好き。暑すぎず、寒すぎず、桜の季節が終わり、穏やかな雰囲気に包まれた緑の木々が、あちこち、公園やら、街並みを、通り過ぎるだけで、心地良い。
窓から見える、富士山。
しかし、時代は、進み、こうして、窓から見える風景も、少しずつ、新たにマンションが立ち並んでいき、遮(さえ)ぎられていく。
今年の五月の陽気は俺には暑すぎて、快適とは言い難い。ステイホームで、冷房の中で過ごすぐらいがちょうどいいと思った。せっかくの10連休は、1日おでかけしただけで、近隣のウォーキングすら行かなかった。
昔のドラマの一挙放送を見ていると、やはり、時代は進化し、使う言葉に違和感を覚える。
今日も、ダラダラ、昔のドラマ見ていたら、役者がふざけ半分のシーンで、
「死にはしませんよ」
というセリフがあった。
俺は、どことなく、違和感を感じた。昔なら、自分も平気で、使っていた、じゃれ合う人どうしの言葉だろう。
今の時代、親しい間でも、このような表現は御法度ではないでしょうか?
GW最終日の、ボクシング 井上尚弥の東京ドームの中継を見ていたら、まさかの、第1ラウンドで、ダウンを喫した。
最終的には、井上尚弥のノックアウト勝だったが、試合後のインタビューで、
「こんなサプライズいかがでしょうか?」
と。
34年ぶりの、東京ドームでのボクシング世界タイトルマッチ。
当時は、魔物がいるのでは?というぐらい、チャンピオンのマイク・タイソンが、まさかの敗戦。これが、初黒星だったのである。
それ以来の、ボクシングの世界戦が東京ドーム開催というで、多くの注目が集まった中、初回ダウンという大ピンチだったが、その後、挽回し、井上尚弥の勝利となった。
何んとなく、100%スッキリという勝利ではなかった。現役が終わる日は、誰しも訪れる。東京ドームに魔物などはいない。東京ドームで、試合をやるだけのレベルに到達したころに、ピークアウトするのではなかろうか?
この表現の方が、タイソン、井上尚弥というボクシングの両ヒーローに共通して、言い当てているのではないでしょうか?強いて言えば、当時のタイソンは、他のテレビのバラエティに出演したりで、ボクシング一辺倒には見えなかった。そんな油断が、敗北の要因の一つだったかもしれない。
軽々しく、相手を罵倒し、
「死にはしないよ」
「聞いてないよ~」
などというのは、今の時代、かなり、ミスマッチに思えてならない。
今日も、土曜日とはいえ、病院通いで一日が終わってしまった。GW明けの週末の病院はビジネスマンの患者で、混んでいるようだ。俺と似たような雰囲気の人が、家族の付き添いとかよりも多い。ドクターも何か、対応に追われ、少し声もしゃがれて疲れているような感じだが、頑張って、患者さんに声をかけて、治療に努めていた。
果たして、井上尚弥は、東京ドームで、自身のパフォーマンスを100%発揮するそのレベルに到達していたのか?
マイク・タイソンも34年前、東京ドームの舞台は、適しているレベルだったのか?
自分が、生きる空間は、ステージだとしたら、そのステージの規模、雰囲気が、適しているのかという、レベルが一致していなければ、生きづらいのではなかろうか?
このブログは、フラメンコギターの習得を目指す、サダチルシアの音楽ブログだが、いきなり、灼熱のギタリスト パコ・デ・ルシアの曲を弾こうなどというのは、あまりにもレベルが一致しない。フラメンコギターを始めて、4,5年になるが、ようやく、ファルセータが少しづつ弾けるようになってきた。パコのTAB譜もたくさん買い集めた。全く歯がたたなかったが、徐々に、対応できるのを実感している。YouTubeのパコの指使いをスローで、見て、音楽ソフトで、TAB譜に自分なりに書き留めたりして、ようやく、ギターのハードルの高いパフォーマンスへ適応していく道筋を見つけ始めた段階=レベルにきたのかもしれない。
適応するためのレベルへ到達しないと、生きづらさを感じるのである。
by サダチルシア