サダチルシア~sadachilucia’s blog

サダチルシア=サダチル(さだまさし+ミスチル)+パコデルシア

40代最後の一年に際して

ここ数日、疲れがとれない。
先月は、急ぎの納品、台風の中対応したり、国際会議のプレッシャーで、胃を壊してしまった。
 
思えば、40代突入の頃、とうとう、俺も40かなんて、思ったりしていた。
 
あてもなく、ギターにテニスに、没頭していた。
41、42、。。。と時は、瞬く間に過ぎていった。
50なんて遠い先のことと、おもっていたけど、
いよいよ王手をかけた。
49年前の、この時刻の頃、オギャーを産声を上げたんだな。
 
生まれた瞬間を覚えているケースがあるというが、俺自身その記憶がある。
真っ暗闇で、もがいて、抜けだした。
病院の天窓らしきものが見えた。
部屋は、蛍光灯で照らされていた。
 
いろんな夢 挫折。高校生ぐらいで、すべての苦いものを味わってしまったせいか、
現実への目覚めも早すぎたのかもしれない。
 
しかし、思っていた以上に、世の中は、俺の想像を上回るほど、腐敗していることに気が付いた。
ギターもって、ライブハウスへ出入りして、音楽で聴く人に、夢を与え、
己の世界を表現したりと、俺は思っていたが、中には、
ろくすぽ職についていないで、這いつくばって生きている人もいるんだなと。
テニスコートへ行けば、
テニスなんて、昔は、紳士淑女のスポーツと言われていたが、
とんでもない、ヤサクレ、自暴自棄の状態の者たちが、うっぷん晴らししているんだと。
 
生きがい、 やる気 などとはほぼ無縁の
あまりにも荒んだ世界へと化していた、東京。
 
世の中の役に立つための仕事や向上心から来る、苦労、努力ではなく、
失敗して、転落の一途をたどり、排除された苦しみ、嘆きからくる、
つまらん気苦労をしている人が、多いようだ。
 
この年にして、自分の好きなアーチスト、たくさん見ておこうと思い、
ここ2,3年、コンサートへ出かけることが多くなった。
そして、まだ見ていなかったアーチストのうちの1人。
オフコース時代、小田と人気を2分し、
切ない男の世界を巧みに歌い上げる 鈴木康博
9月に見にいった。この歌が印象的だった。
3コーラス目の歌詞で、
男60と歌っていたが、
昔から、ここを、40、50と、年齢に合わせて、変えて歌っているようだ。
 
「燃ゆる心あるかぎり」 鈴木康博 作詞・作曲
 
心から願う力が すべて形になるのさ
幾度も当たった 厚い壁越えて
その時初めてわかる
 
あきらめない それが答えだね
決して途中で投げたりしないこと
見えない未来 頼りないあの日より
自由に 夢を見てる
 
 
誰よりも 君がいたからぬくもりに包まれて
 
強がりばかりで 張りつめた心
癒せる場所を見つけた
 
愛してるよ 君をいつでも
言葉に出しては 言わないけれど
風のように 走り抜けた頃より
素敵だよ 今のままで
 
 
飛び回る 若い力は 怖さ知らずでいい
 
悩んで戸惑う姿懐かしく
思わず手をさしのべる
 
自分らしく 飾ることなく
時の波に流されることもなく
燃ゆる心 その胸にあるかぎり
手は届く 遠い夢でも
 
行く手遥か この人生が
一度だけしかないものならば
男50 
この青春の火を
絶やさずに 生きてゆこう
絶やさずに 生きてゆこう
 
 
メディアからは伝わってこない、Yassの生きざま。
小田みたくは売れなかったけど、ライブに行くとよくわかる。
いい曲、いっぱいある。
今は、俺のカーステレオでは、Yassのかけ流しで、湾岸走ったりするのが、好き。