サダチルシア~sadachilucia’s blog

サダチルシア=サダチル(さだまさし+ミスチル)+パコデルシア

光あるうち光の中を歩め~週末や祝日の雨の確率高いな


眠~い1週間だった。
やはり、疲れているようだ。

暑い夏の疲れが、今時分に来るんだろうな。

3連休、エンジョイしてますか?

土曜日は、中途半端な雨のおかげで、
テニスは、中止。
しかし、中止の判断直後から、みるみる、天気は回復し、
今、思うと、出来たように思う、というのが、今日の皆の意見。

一夜明けて、日曜。
朝から、ドシャ振り気味じゃないか。

しかし、今回は、皆さん、フラストレーションもたまり気味で、
若干、パラパラ雨が残りつつも、
テニスコート集合。
やがて、雨は上がったけど、
じめじめした水気が、
ボールが吸ってしまい、重い打球感だったけど、
これも、スポコン的には、いい練習なんで、
テニスを満喫。

さあ、最近話題の、日本酒で、
獺祭なるものがあるが、
俺は、あまり日本酒は、すきじゃないんで、
いいのか、悪いのか、わからないんだけど、
その獺祭の系統の一つを、
限定だったんで、買ってみた。
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なんか、48とか50とか
いろいろあるみたいね。

 mm~、越乃寒梅、雪中梅、八海山、久保田、など、
好んで、飲んできたが、
どれにもあてはまらない酒だという感じ。

辛さ、甘さが、同居しているような感じ。
までも、限定本数だったんで、買って、飲んだみたわけだ。

光あるうち光の中を歩め
とか、ドストエフスキーの作品でなかったっけね。

時代は違うけど、その思いは、
生きている人間にとっては同じじゃない?
ロシア文学の重さ。
小学6年生のときから、
かもめ、ワーニャ叔父さん、なんかの戯曲を呼んでいた。

罪と罰」は、数年前、文庫本で、なぜか、売れまくったようで、
おれが、その時期、同名タイトルの作詞・作曲をし、
YouTubeにアップすると、
著作権侵害で、削除された。
偶然、いろんな部分が、NHKの番組で取り上げた内容と、
一致してしまったのが原因のようだ。

でもね、やりたいこと、欲しいもの、は、
手に入れておくべきだと思うぜ!

テニスを早く切り上げて、
今日は、原宿へ何年振りかえで、出向いた。

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表参道、相変わらず、人混みで一杯だ。

ここは、原宿QUEST
もちろん、俺が、こんな都心に出かけるなんてのは、
来ない限り、下町エリアから、出かけることなんてないのさ。

今回は、去年まで、3年連続で、
渋谷の大和田さくらホールで、行われていた、
オフコースというのも、本人には失礼かもしれないが、
鈴木康博の数少ない、バンドスタイルのコンサートだったのだ。

今年は、場所が、少し変わって、
原宿となった。
去年ぐらいから、内容も模様替えのようで、
新作に力を入れ始めて、
オフコースも本格化したのだと悟った。

今回も、4年前のソロ30周年記念アルバムの
選曲からもれた曲を集めて、
セレクト30プラスというアルバムを引っさげての、
真新しいライブパフォーマンスを披露した。

オフコース時代の曲は、2曲しかなかった。
おそらく、それ目当てで、今回、初参加の人は、
かなり落胆したのではなかろうか?

Yassは、明らかに、オフコースの再結成はない、
そんなスタンス以上に、
自分のこれからの音楽を聴いてほしいというのが、
ひしひしと伝わる。

一方で、オフコースの再結成の実現を夢見るファンによる、
呼びかけが、小田和正のコンサート会場の外で、
活動している事実もあるのだ。


俺的には、やるなら、
小田とYassの2人時代のオフコースの再結成は、
是非、やってほしい。

さあ、そんな、懐かしいオフコースを、
年に一度は、
小田か、Yassのどちらかは、見に行っている。

ライブから帰宅後、
久々に、川エビが、手に入ったんで、
素揚げしました。

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もう10年振りぐらいになるかもしれない。
川エビが近所のスーパーで手に入っただけの話。

そして、最後にこれだ!
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友人からもらった、
ハム、ウィンナーの袋詰め。

夜のツマミは、もちろんだが、弁当にもいい。

休日のモーニングのパンに、ハム挟むのもいい。

重宝しますね、こういう頂きものは、時代が変わっても。

まさに、光がありつづけることなんて、そうそうあることではない、
だからこそ、
瞬間的な輝きよりも、
いつまでも、長く、人々に受け入れられている状態であることが、
大切なんだと。
改めて、
高校時代、初めて、
原宿、表参道、ぶらぶらしていた頃のように、
今尚、50も過ぎたって、同じことをしている。
オフコースという過去の栄光を少しずづ捨てながら、
新作で、頑張り続ける、鈴木康博
まだ、穢れない、完全な大人に届いていない、
純朴な自画像を、抱き続け、
それは、決して、間違いではない、ということを、
示しつつ、団塊世代の一員として、
これからの日本の国が抱える、
超高齢化、介護、その他もろもろ、
この先の道を背負っていくとを示唆するような、
次世代へ、メッセージを送っているのだろう。

そう、そんな姿を見て、
次世代、これからの若者が、
一人ひとりが、
何をなすべきか、を考え、
実行しなければならないのだ。

誰かがやるだろう
と、あぐら をかいてきた、
その世代に、大きな問題があるのだ。