サダチルシア~sadachilucia’s blog

サダチルシア=サダチル(さだまさし+ミスチル)+パコデルシア

アナーキーな週末~自分のココロを満たすことが大事

いつもなら、遠くまで、で、
テニスのプライベートレッスンに行くのだが、
今週は、
地元のテニスコートにコーチが来てくれて、レッスン開催が出来た。

これも、メンバーのコート確保のおかげだ。
昔から、東京都内のテニスコート事情は、週末の確保が難しく、
組織で、グルになって取られてしまい、
なかなか個人では、コートが取れないのだ。

そんなんで、東京から少し離れた場所で、
テニスコートを借りる方が、
定期的に、テニスをやりやすいというのが、現実なのだ。


さあ、今年の春から、注目のラケット、CX200シリーズ

ウィンブルドンで、前年、ファイナリストのケビン・アンダーソン、
今年は、怪我で、実績は残せなかったが、
そのラケットを使ってみた。

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なるほど、評判のとおり、飛ばないタイプ
だけど、俺って、やっぱり、こういうラケットこそ、
アスリートらしいなって思うんだけどね。

まあ、いつか、これを使いこなすだけの腕をみがきたく思いますが、
年齢的にも、やはり、関節を傷めないで、
楽に、打てるラケットで、
最高のパフォーマンスが得られるのなら、それでいいように、思えてきた。

今日も、5月に買った、このラケットの下位モデルで、コーチと、ラリーが、
長く続いで、
合格点をもらいやした。

こうして、週末、テニスで、
ココロが、満たされるのが、楽しいのです。

もちろん、テニスだけが、心の友ではないよ

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中学時代の同窓生が、営む、家庭料理の居酒屋で、
〆のチャーハンを頂きやした。

同期会とかって、
懐かしさのあまり、昔話に偏るかと思えば、
今、何やってるの?なんて、
ビジネスに利用しようとかするやつもいるが、
そういうのぬきで、
40年の時を超えて、
同級生の手料理を、食うなんてのも、
ココロが満たされるもんだ。

貯金2000万円あっても、
果たして、そのお金を払いさえすれば、
自分の生きるための物資や有用性を、
購入できるのでしょうか?

下流老人 一億総老後崩壊の衝撃」(藤田孝典著)が、
発行され、より現実味を帯びてきましたね。

まさか、偶然、数年前、読んだこの本の一部に基づく内容が、
今、国会で、年金が不足するのを、自分の貯金で、賄え、などと、
発言する議員が出てくるなんて思いもよりませんでした。

それだけ、年金や生活保護が、先行き、危ういのです

でもね、お金だけじゃないよ、人生は。
学歴だけでもないよ、人生は。

自分は大学出ていないから、という劣等感を抱いたり、
金がないから、不幸だとか、
思い込みがちではないでしょうか?

ではその、社会のエリートなる者や、
高学歴の者たちは、
幸福な人生を送っているのでしょうか?

一流大学から、大学院を経て、研究者の道を選択した有能な人ですら、
働き口がなく、
非正規で、掛け持ち科学者だったりしている現実があるのです。

働き方改革が、原因で、所得減を招き、
住宅ローンを払えなくなり、
せっかく手にした、マイホームを売却した人もいるというではないか。

家族を持とうが、エリートになろうが、
ココロが満たされなくては、意味がないと思えてくる。

ぶらり、近所で、テニスをしたり、
旧友が、今でも近くに、住んでいて、
なんとなく、無意識で、会うことができて、
一杯呑んだり、手料理食わしてもらうことができたりして。

家で、のんびり、気の向くまま、
誰ももっていない自慢のギターでも弾いて、癒しのひととき過ごしたり。

いずれも、
2000万円払っても、
手に入らないものばかりなのではないでしょうか?

仲間がどうだとか、コミュニケーションがとか、
言うけれど、
その昔から存続してきた、多くの集落が、世の中からなくなって、
コンクリートで固められた、
集合住宅で、
人は、それぞれ、自分のためだけに、
生きているのです

他者のために、なんて美辞麗句は
通用しない時代がきたのだと思います。