「娑婆(しゃば)の空気はうまいの~」
この日は、コロナ禍が始まる2019年の年末以来の公共交通機関を使ってのお出かけとなった。先天性の免疫力の低い体に生まれ、なおかつ、関節リウマチを患い、医者からも極力、外出や人混みを避けるよう言われていた。
都会のオアシス、マイナスイオンたっぷりのようなスポット。
東京ミッドタウン六本木へとやってきた。
エスカレーターを4Fまで登り、さらに、そこからは、続けて登れないエスカレーターへ移動。そして、
ビルボードライブ会場に到着。
ギタートリオ日本版とでもいうのだろうか?かつては、アル・ディメオラ、ジョン・マクラフラン、そして、パコ・デ・ルシアのフライデーナイト・イン・サンフランシスコで、世界へアコースティックギターを知らしめた3大ギタリストというべきギタリストによるライブコンサートがあったが、今、日本でギターインスト系なら、この3人、渡辺香津美、押尾コータロー、沖仁。ではなかろうか。
渡辺香津美は、病気で、1,2か月前から、コンサートは全て中止となって、実質、押尾コータローと沖仁によるライブとなったが、サダチルシアの目当ては、もちろん、フラメンコギターリスト 沖仁さんである。
席は、5Fのカウンター席。今までで一番安い席だが、そこしか取れなかった。その後、渡辺香津美さん出演取り止めで、いくつか2F席とか空きが出たが、敢えて買い替えなどは問い合わせず、カウンターから見ることにした。キャパ250人なので、十分近い距離から見れる。
飲めないけど、ワンドリンク付きなので、流行り?のアイリッシュウヰスキーをソーダ割りをオーダー。カウンター席のインスタ映えの演出効果にもなるしね。
チラシが、各席に置いてい在り、どうやら、リットーミュージック社「アコースティック・ギター・マガジン」の通巻100号記念のライブで、選出されたアーチストというコンセプトのようだ。
会場へ入る前に、グッズ売り場を眺めていたら、年配の落ち着いた上品な口調の人が、
「どの号か、お探しですか?」と聞いてきたので、ピンとこなくて、
「どの号?ですか?」と聞き返したが、何も言わないので、もう一度、ガラスケースの中の商品を見ると、アコースティック・ギター・マガジンの本ばかりで、ビートルズやエリッククラプトンなどの表紙のものがあった。CDも少しは置いてあったが、俺的には、沖仁氏のCD目当てだったので、
「沖さんの初期のCDは置いてないんですね、わりと最近のばかりだね」というと
「並べるのに限りがあるものですから、あまり持ってこれないんですよ」と。
過去に、ビルボードで、商品を眺めていて、しかも、フロントスタッフではなく、ギョウカイ?っぽい人が対応してきたのは初めてだ。とりあえず、帰りにまた見に来ようと思い、会場の座席についた。ってわけだ。
元々、ビルボードは、ワンステージ50分のライブなので、短いのだが、集中して聴いていられる。
押尾コータロー中心に、沖仁は、一歩ひいたようなところから、合わせている感じだった。
各々、途中、ソロの演奏も披露してくれた。やはり、フラメンコギターの響きが、心地良い。アコギのスチール弦は、キンキンした音だが、ナイロン弦のフラメンコギターは、ジャラジャラ弾いても、どこか柔らかい質感がある。あっという間の50分だったが、俺もあんな風に、ソロギターをすらすら弾けたらいいなと、毎度、思ってしまう。
帰りに、再度、グッズ売り場へ行き、沖さんのギター教則本を手にとると、先ほどのおそらくアコースティック・ギター・マガジンに長年携わった方なのだろうと思われる人が、また現れたので、
「これ現品限りですか?」と聞くと、
「ストックしてあるのをお渡しします」といって、キャッシャーのスタッフに申し付けてくれた。
おそらく、リットーミュージックのベテランの編集者か、その類の人なのだろう。ステージでも、押尾コータローが、デビュー前から注目をしてくださった〇〇さんから、通巻100号記念ライブのお話を頂いた、とMCで言っていたので、その人かもしれない。
帰り道、すっかり窓の外の広場も薄暗くなっていた。
ミッドタウンを出て、六本木駅へと向かう。
六本木交差点。コロナ前にも書いたが、19歳の浪人時代に、高校時代の同級生らとよく来たものだ。そのうちの一人が、隣の駅の神谷町にセカンドハウスのマンションを所有していたので、週末になると、泊りで、遊んでいた。高速の向こうに、アマンドも今でもある。あれから、41年もの時間が過ぎていたのか。この日は偶然にも同期生たちから、還暦企画の連絡もLINEで、舞い込んで、いろいろやりとりをしたところだった。やはり以心伝心てあるのかもしれない。
帰宅後、すぐ寝てしまい、一夜が明けると、雨だった。
あの頃も、いつも六本木で遊んで、奴のマンションに寝泊まりした朝は、決まって雨だった。
そして、当時、人気俳優だった、ジャン・マイケル・ビンセントが、ウヰスキーのCMに出ていて、
「30を過ぎて忘れるための酒を止めた」
というキャッチコピーが気に入っていたのを思い出す。
そして、50を過ぎて、還暦目前の今、ようやくそんな自分にたどり着いたのかもしれない。重い荷物背負わされ、ヤケになって酒を飲んだり、空っぽの心うずめようとしたり。そんな自分はいつしか、居なくなっていた。
ここへ来ると、大人に背伸びして、六本木うろついたりしていたのが、昨日のことのように蘇る。そう、もしかしたら、沖仁のフラメンコを聴きたいのはもちろんだが、それはひとつの手段で、本当の目的は、高校時代の思い出に浸るための時間なのかもしれない。
浪人という学生でも社会人でもない、自然体の自分に、瞬間的に戻るため。
多分、きっと、そういうことなのだろう。
by サダチルシア