サダチルシア~sadachilucia’s blog

サダチルシア=サダチル(さだまさし+ミスチル)+パコデルシア

Born to Run

サダチル、大学生のとき、
ブルース・スプリングスティーンが来日した。
代々木体育館でのライブ。
サダはその頃、オヤジの勤務先で、バイトに明け暮れていた貧乏学生。
重なるのは、浜田省吾の、「Midnight Blue Train」。

走り続けることだけが、生きることだと 
迷わずに答えて。

という歌詞。


サダチルってそんな男だったと振り返る。
不器用で、ただひたすら、自分の信じたことに
夢中になる。

ジョン・レノンに憧れて、リッケンバッカーを中学のとき、
自分で、ラワン材を買って、電ノコ借りて、作ったのを覚えている。
柳ジョージも、実は、そんなことを若い頃やっていたとテレビで見た。
そして、本当にギターに目覚めたのは、
伊勢正三が風で活躍が終わる頃の
円熟した「22才の別れ」をラジオで聞いたときだ。
サダチル14才。
ある日、NHKで、
突然、「コン、コン、コンコンコン」とピックで、ギターのボディを軽くたたきカウントをとり、
生ギター2本で、イントロがはじまった。
22才の別れの、レコード以外の音を聴いたのは初めて。
そして、それが、風という1年後、武道館コンサートをして、
解散に至る、終盤の、「海風」という最後のオリジナルアルバムが発売した時期で、
NHKでは、月~金まで、夕方6:00から
「夕べのひろば」というのが放送され、曜日ごとにジャンルが異なり、
ニューミュージック、歌謡曲、映画音楽などさまざまな味付けで、放送されていて、
祝日に限っては、そうした、ミュージシャンをパーソナリティにした番組が放送されていた。
その初めてきいた機会が、風がパーソナリティで、しかも、いきなり
22才の別れでした。
サダチルは、その後、ギターよりも、伊勢正三のようなルックスに憧れていた。
破けた、つぎはぎジーンズはしかし、時代とともに原宿、渋谷からは消えていた。
今でこそ、ダメージ・ジーンズがあちこちあるが、
本当、風のファースト・アルバムの伊勢がはいてたジーンズは、カッコいい。
今、ようやく、何か団塊世代が、青春を呼び起こして、
去年のつま恋の再来など、本当に、サダは、ここで、この流れに、便乗して、
ギターを思い切り弾きまくりたい。
サダチルと一緒に、走りたい人、
この指とまれ