サダチルシア~sadachilucia’s blog

サダチルシア=サダチル(さだまさし+ミスチル)+パコデルシア

旬のものは迷わず買ってヤッターマン

今週は、やはり、何と言っても
さくら鯛
やはり、その後、店に並ぶことはなかった。
 
今日は、冬の終わりを告げるかのような、1日だったが、
まだまだ侮れない。
3月に入っても、寒い日は、いく度となくあるだろう。
 
2月の終わり頃は、わりと、学生時代から好きな季節。
日に日に、西日が、長くなるのが、ビルに反射するオレンジの夕暮れで、
確かめられる季節。
 
そして、今週はさらに、とことん、みぞれ鍋の夕飯だった。
今夜は、少し、大根が半端だったんで、
生牡蠣を、おろしで、プロ流儀で、洗ってみた。
たしかに、奇麗に洗えるが、
なんだか、さっぱりしすぎてしまうな。
 
外気は、暖かいが、は、とても、冷たかった。
 
ちょっとは、殻の破片ぐらい、あったほうが、材としての味があって、いいかもね。
豆腐もおかげさまで毎晩、一丁食い終わっちまう。
こんなこと、夏の冷奴ですらありえない。
せいぜい、半分で二日だぜ。
 
このみぞれ鍋の効果てきめんってとこだ。
 
サッパリ系の食で過ごした、一週間だった。
MacだのCoco一カレーだの牛丼は、
早くて、安いけど、
俺みたいな、忙しい、おっさんには、
瞬間的に腹いっぱいになるメリットはあるけど、
やはり、健康面からみると、天敵かな。
高校生ぐらいにちょうどいいのかもね。
部活やって、汗流して、帰宅前に、
友達と、より道みたいなところで。
 
渋谷では、残虐な事件が、起きたし。
まったく、通り魔が、70代の老婆だなんて。
世の中、どうかしている。
 
そういえば、先日、三ノ輪の大関横丁で、
信号待ちしていたら、
イラついた男が、
ウロウロしていた。
「おかんが、洗濯ものほったらかして、どうしょうもないんだ」
と、叫びだし、どこにも行く場所がなく、ただ、人ごみの多めの交差点で、
きっと、何か、存在をアピールしたかったのだろう。
 
しかし、これは、この男に限ったことではないんだ。
気付いていないだけで、
会社の中で、つまらん人脈を求めていたり、
やり場のない心を、別の何かにぶつけたりと、
誰しも、多かれ、少なかれ、愚かな心のはけ口を、求めてしまっているのでは?
 
昨日、行きつけの店で、ママさんが、
「サダちゃん、今日、2杯だっけ?」
といつものようにからかわれた。
「2杯なんて、ありえないよ!最初から、3杯ってつけておいて」
この店は、いつもだぜ!
 
元気が出る、探せば、いっぱいあるから。
酒でも、趣味でも、スポーツでも、音楽でも、アニメでも、映画でも、なんでもいいじゃないか。
自分と同じ人間はいない。
 
 
俺は、この歌が、とても好きだ。
「そうさ、僕は僕 君になれはしない」
そんな岡林信康の感性こそ、
フォークの神様たる所以。
去年、コンサートいって、やはり、この曲が、一番良かった。
 
そう、誰も、同じ人はいない。
憧れのアーチスト、俳優を、
真似ようが、大金を投じようが、
なれはしないし、
どんなに好きな人と一緒にいても、それは、自分とは違う人。
 
一度きりの生を
自分として、生きていくことが大切なんだと、俺は、
この歌を聴いて、思った。
 
共感者を求めるあまり、人々はおかしな行動をとってしまう。
家で、会社で、趣味の世界で、
自分に同調してくれる仲間を求めるあまり、
虚しさ、淋しさ、それをとおりこし、怒りとなっていく。
 
今朝も、爆睡明けで、目覚まし時計を、5分おきに見ながら、
うとうと、何度寝ても眠いし、
いい夢みてたい、そんな気持ちでいっぱいのまま、通勤時刻がきた。
 
震災の傷痕も一年近くになるが、未だに癒えないニッポン。
 
自分という設計図を、今こそ、心の図面に、書き留めたい、
岡林のラブソングのように。