サダチルシア~sadachilucia’s blog

サダチルシア=サダチル(さだまさし+ミスチル)+パコデルシア

胸いっぱいなら、腹いっぱいはいらないかもよ~名言その2


街は、すっかり、クリスマスにちなんだ、イルミネーション飾り。

電気自由化が始まるというではないか。
是非、来年の今頃は、
「わが社の電気が安くて、イルミに最適」
なんて、企業のアピールが飛び交えばいいけど。

あちこち、景気は悪く、事業存続の、人手も確保できない。
リストラ過剰が、起きたんだな。

フリーターでもない、ニートでもない、
何の当てもない、風来坊さん、増えているのかな?

そんな状況でも、この時季になると、
イルミネーション飾りは、止むことはない。

まだ、何もわからなかった頃のように、
ただ、切なくて、胸が詰まる想い。

それだけしかないのに、幸せだったに違いない」。

先のことなんか考えずに、
いや、経済、政治、就職、なにもわからなかった頃のような、
純朴な人間らしい自分。

社会に出て、仕事もそこそこ、
収入も月並みだったりしていたのに、
心は、空っぽ。

どこで、何をしても、自分を、心底満たすものは見つからない。

酒を飲み、美味しいつまみを、
追い求めても、その先にあるのは、
無駄遣い

学生時代、切ない恋に苦しんだとき、
一週間、飯を食わなかった。

「飯も食わないで、病気になっちまうぞ」と、親父に叱られた。

今思うと、何も欲しくなかったんだろう。
その切なさが、実は、心の栄養でもあったのかもしれない。

順調で、楽しい、関係を保つこと以上に、
せつなさは、心をしめつけるようだが、重圧とは違う」。

社会人になって、業務命令で、何かを背負うとか、
家庭を持ち、家族の生活を背負うとか、
親の老後を背負うとか、
コミュニティで、趣味の仲間の余暇を背負うとか、
どれも、所詮、何かを荷物にしただけのようで、
本心とは別のように思える。

することがなく、徒然だから、何かをする
それは、間違いでは?

時間を無理やり埋める行為から、
何も価値は生まれてこないだろう。

本当のせつなさは、空しさではない。

切なさは、心を満たす
胸がいっぱいになり、
ほかのことなんて、どうでもよく思えてくるぐらい、
夢中になるのだろう。

政治、経済で、景気すら立て直すこともできずに、
長い暗闇が続いている。

その末端、いや、先端にいるのかもしれない、
一人ひとりが、
自分の生活でせいいっぱいとか、
年金いくらもらえるとか、
頭の中で、考えて、
安定して堅実ではあるけれど、
満たされもせず、
ただ、時間が浪費され、
何の策もないまま、一切は過ぎ去っていくだけでは。

自分の中にある切なさに、ふと、未来を見ていると知った。