サダチルシア~sadachilucia’s blog

サダチルシア=サダチル(さだまさし+ミスチル)+パコデルシア

阿久悠

サダチル小学校の頃、
スタ誕を見ていた。
日曜日は、オヤジがいつも家で、
ラケットカヴァーの印刷をしていて、
シンナーくさかった。
そこへ、朝食が終わり、
母はコーヒーを入れてくる。

審査の場面だけオヤジは手を休め見ていた。
歌い手の外見には興味がなかったようで、
誰でもああいうときはあると言っていた。

サダチル、この年にして、やっと音楽とステージの
一致した場所にいる。
思えば、スタ誕世代は、15,16、17、あたりで、
厳しいオーディションを勝ち抜いたエリート意識の強い、
人だったんだね。
サラリーマンたちは、競争よりはこれからは共存しないと、
少子化で、次世代がいないため、
繁栄しないから、
食いつなぐには、仲良しになるほうがよいのだ。
だから、へんにエリートぶるのは、
滅びるシグナル。
音楽仲間の皆さん、仲良くやりましょうよ!
いつか、私のような素人でもできる、
つま恋ライブを開催して、みんなで飛び入りで、
朝まで野外ライブなんかやってみたいな。

険しい顔して、演歌を歌うのがもう今の時代には合わないね。
そんな切羽詰った生き方がなくなりつつあるからだ。
この間、保険のオバチャンが、
更新の期限で交渉してきたが、
「保障なんかあっても役に立たない」
と俺はいった。
なぜなら、余命いくばくも無い病にかかったって、
今の、日本の病院事情は、
受け入れができない。
地方では医師が不足。
都心では、次から次へと患者が立たず、
患者はベッドの空き待ち、
病院は、患者の回復よりも回転率をよくする治療。
安楽死、延命、自分は痛まず、家族は負担せず、
そんな時代に、保険の入院給付金なんて役に立たない。
その前に、死を選択できるんだから。

苦労できる幸せが、サダチルにはある。
平凡で、なんにもなくて、
当たり前の暮らしに退屈して、
家族もっても安定感に不満を抱き、
やがて、刺激や娯楽に飢えはじめる、
まさに、「地球の○○○に飽きたところよ!」
状態に陥るんだろうな。

満たされぬ人々が、
おかしな風潮を作り、崩れていく。
貞淑な女たちも今じゃ、
当たり前のように、会社帰りに、
酒飲んで、戯れている。

改めて、苦労という美しさを、
サダチルは今、噛みしめている。