サダチルシア~sadachilucia’s blog

サダチルシア=サダチル(さだまさし+ミスチル)+パコデルシア

義務から夢へ

 
寒い土曜日。久々にテニスに行く時間ができた。
そして、アフターテニスは3件梯子。
 
メンバーの一人が、その昔、寂聴さんに会ったときの話をしてくれた。
寂聴さんといえば、もともと、瀬戸内晴美という、作家だったが、
きっといろいろあって、今、尼僧となったのだろう。
 
寂聴さんの家の庭で、
「アリンコが、たくさんいるでしょ。だけどよく見てごらん、働いているアリのほうが少ないよ。列を作って、何かを運んでいるアリのまわりで、ただ、ウロチョロしているだけのアリのほうが多いでしょ。人間もまたそんなものですよ」
と、聞かされたそうだ。
 
確かに、働き者のたとえに、アリが取り出されるが、実は、そのうちのほとんどが、さぼっている。一所件名働いているほうが、馬鹿みたいだ。
真面目すぎると、アリの世界でも、さぼってウロチョロしている奴のほうが、得をしているようにみえちまう。
 
自分も、テニスにのめりこみすぎて、試合ばかり出ていたことがあった。
そして、やがて、それは、つまらないテニスに変わっていった。
そんなとき、声をかけてくれたのが今のサークルだ。
テニスしては、酒を飲み、週末、楽しく過ごしている。
 
音楽もかつては、ライブをするのが、面白かったが、あるコンサートに出たときの、
プロ並みのステージを踏んで、こんなにもミュージシャンは大変なんだ、と思った。
 
試合に勝つ、コンサートで集客し、演奏する、義務感が強くなると、つまらないものになってしまう。
いつまでも趣味として、夢であることが、望ましい。
 
仕事だからやっている、というこの義務感もやがては、サラリーマンライフを貧弱にさせ、
返って、いい仕事ができなくなる。
 
時には、さぼっている側のアリになることも、長続きの秘訣かもしれない。
仕事も、夢に置き換えて、生産、利益、から、やりたいことをやる自己実現、それが、世の中の役に立つという貢献へ変換させ、人々を幸せにさせる夢であると思うと、少しばかりやる気が向上してきた。
 
義務感に押しつぶされていたんだね。手が空いているアリがいっぱいいるのに。