サダチルシア~sadachilucia’s blog

サダチルシア=サダチル(さだまさし+ミスチル)+パコデルシア

76年ぶりの歴史的記録

 
ロッド・レーバー、キング夫人なら、大概のテニス好きなら知っているだろう。
旬の人気選手は、きっと現役が終われば、数十年もの間、思いだされることはない。
 
昨夜、ウィンブルドン男子決勝は、76年ぶりの地元イギリス選手が、決勝をものにするか否か、という、
歴史的出来事に近い、大決戦。
 
Head to Headは、8-7と、分がいい、地元英国のマレー VS. 王者 フェデラーというカード。
 
俺は、フェデラーでなければ、マレーに勝ってほしかったが、
やはり、マレーによるイギリス人の76年ぶりの大舞台で、負けたら、
もう二度と、王者フェデラーは、テニスをする気力がなくなるだろうと思った。
 
出足は、圧倒的に、マレーのペース。
俺の学生時代、マッケンロー、ベッカー、レンドルという、テニスのヒーローがいた。
悪童のマッケンローvs.悲運のレンドルの、フレンチオープンの決勝は今も忘れない。
 
そのレンドルは、ウィンブルドンだけは、優勝に届かず、
どこか悲運の境遇だった。
精密なプレーは、とても魅力だったが、最後の最後で、ポイントが取れない、
メンタルの弱さ、運の悪さが、テニスでのグランドスラムには、届かない要素だった。
 
そんなレンドルが、今回、マレーのコーチを務め、
ともに、取れなかった、ウィンブルドンの決勝に、万全の体制で、臨んだ。
 
第一セット第一ゲームから、フェデラーが、サービスゲームと落とし、
逆に、マレーの高速サーブが、ガンガン決まり、
持前のディフェンス力で、
フェデラーのミスをそそり、
閉ざされた76年の歴史は、ようやく、打ち破られるかと、
そんな勢いがあった。
 
しかし、王者フェデラーの立ち上がりは、いつもこんなもんであると、
ここ数大会、見てて思った。
 
どこかで、相手の弱点をついてくる場面を狙っているゲームメイクの強かさが、
この日も感じ取れた。
 
それは、立ち上がりのマレーの地元人気で、背中をおされ、
ガンガン飛ばした、ギアの上げ過ぎにがあったと、俺は指摘する。
 
あの速いサーブは、永久に決まることは、プロとてない。
 
そして、それをやり続ければ、肩、腰に響いてくる。
ましてや、フレンチで、腰を故障し、敗退したマレーが、
たかが、3週間で、腰痛が全治しているとは思えなかった。
 
第一セットは、マレーが、首尾よく取ったが、
第二セットでは、フェデラーが、じわじわと、
ネットにつめたり、
ドロップで、ゆさぶり、
マレーの腰に負荷をかけてくいく。
 
立ち上がり、数回、大きくバックアウトのスマッシュミスをした、硬さがとれたフェデラーが、
フィジカルを向上させていく。
 
そして、雨
この中断が、決定的に試合の流れを変えた。
 
サーブからの組み立てで、
前に出て、ドライブボレーというリスキーな、フェデラーのショットは、
風の影響を受けやすい。
 
それが雨で、屋根が閉まり、インドアになると、
安定するファクターとなるのだ。
 
まさに、王者フェデラーに、勝利の女神は、微笑んだ
 
屋根が閉まり、試合再開後は、
フェデラーのペース。
 
足を滑らせ、何度が、転倒するマレーの姿には、
もう、出足に頃の、余裕はない。
 
フェデラーの戦略勝ち。
 
ただのサーブ&ボレーではなく、
ドライブボレーを使ったところに、
大きな勝因があったと言えよう。
 
つまり、ドライブボレーは、もう相手とのラリーには持ち込まない、ネットからの、
ノーバウンドのストロークなのだから。
なまじ、ネットに出て、ボレーを2回ぐらいで、決めようなどという安全策は、
マレーの得意な、頭上を抜く、ロブで、やられてしまうから。
 
フェデラーのリスキーな選択ではあったが、それをしないと、
勝てなかったということ。
 
そして、マレーのコーチの悲運のレンドルは、
現役時代、このドライブボレーの名手でもあった。
 
まるで、フェデラーこそ、レンドルの教え子にすら思えるほど、
いい場面で、ドライブボレーで、ポイントを奪いとるという、
このあたりも、フェデラーの皮肉めいた、
いやらしい作戦でもあったのか。。。
 
思えば、なぜ、レンドルは、マレーに、
フェデラーのドライブボレーを警戒しろ」
と、指導をしなかったのだろうか。
 
ネットから遠いところから、一発で仕留めにかかるフェデラー
さもなければ、ドロップで、マレーの腰を脅かす。
 
76年ぶりの大勝利は、まさに、フェデラーに封じ込められたのだ。
 
試合終了後、恒例の表彰式のインタビューで、
ハンドマイクを握りしめ、言葉にできず、
芝のコートに、一度は、悔しさのあまり、泣き伏せたマレー。
 
なぜこんなにも、自分は不幸な側にいるのか、と思ったかもしれない。
 
第一セットの勢いで、勝っていれば、
地元の大観衆の前で、両手を広げて、
家族、フィアンセ、キャサリン妃の前で、
無常の喜びだったろう。
 
それが、涙をこらえては、言葉がつまり、
とても、辛いインタビューとなってしまったのだ。
そんなマレーの姿に、フィアンセももらい泣きして、
きっと、この日の出来事を、2人の絆として、
これから、テニス以外の場所で、幸福な男になることだろう。
 
1936年の大会のフレッド・ペリーの優勝から、英国テニスの歴史は今も、閉ざされたまま。