サダチルシア~sadachilucia’s blog

サダチルシア=サダチル(さだまさし+ミスチル)+パコデルシア

今日の言葉~人の心に土足で踏み込むナ!

まだ、若かった頃、営業で、とある、商売を営んでいる、老舗の家の、
裏へ回って、セールスを試みた。
若かったからこそ、出来た、ずうずうしい、否、破れかぶれのスタイルだったのかも。
 
裏門さえ立派で、普通の家の表門としても立派ぐらいな家だった。
 
老婆の方が、引き戸を開けて、応対してくれた。
少し、話し込んで、和んできたので、
敷居をまたごうとした。途端!
他人の家の敷居をまたぐとは失礼なり
と、急に、怒りを爆発させた。
 
自分はただ、話に興味を示したので、資料をおみせしようと思い、
木で出来た立派な門をくぐり、
遠くから大きな声で話すのもなんだからと、一歩、足を上げた瞬間の態度を、
その老婆は逃さずに、声を高らげたのだった。
 
そう。たかが、話が少し、合い始めたぐらいで、
由緒ある商売で、繁栄してきた家の裏門の敷居を跨ぐ、権利など、
与えられたわけではなかったのだ。
 
そこには、心の門がある。
 
今でこそ、無縁社会だのというけれど、
昔から、こうして、そうやすやすと、
見ず知らずの者同士が、
家の敷居を跨いだり、物、金の貸し借り、なんぞは、
やるべきではない、シキタリのあるのが、人間関係というものではなかろうか。
 
仲間、友達、チームメイト、コラボ、
と、人々のまとまりを表現するものの、
多くは、この、
老婆のような心境なのではなかろうか?
 
人の心に土足で踏み込む
 
たかが、セールスマンが、調子いいこと言って、
話にのってきたから、ちょっと、もう少し、懐へなんて、
思ったのが、大間違い。
 
気づかないうちに、
人の心に上がりこんで、
余計なことをして、失敗している、
それすら、気が付かないで、
顧みることもしない、
まるで、そんな宗教でもあって、
悪い教祖に洗脳されているんじゃないかって、さえ、思えてくることがある。
 
自分の当たり前、ほんの一言が、
どれだけ人の気に障ることなのか、
きっと、その手のことをする者は、
気づかないまま、これからも、
地球のいたるところで、失態をさらし、
無神経に生きていくことだろう。
 
そして、まともと思われている人たちは、
ただ、黙ってみているしかない。
 
人の心に土足で踏み込むナヨ