サダチルシア~sadachilucia’s blog

サダチルシア=サダチル(さだまさし+ミスチル)+パコデルシア

本日、何日和?

思えば3年前の東京ドームか。
小田和正 63歳が、自転車こぎながら、ドームのアリーナを走り回り、
幾恵に敷かれた花道を、ハンドマイク片手に走り回るアルバム「どーも」のツアー。
そのライブ風景は、DVD化まで、一年以上を要した。
 
今回は、「小田日和」というアルバムがリリースされて、そのツアーが、久々に東京にもやってきた。
 
偶然、俺が購読している業界系情報誌のWeb版で、
小田和正率いるファーイーストクラブの副社長の対談の記事を昨日、目にした。
寡黙で、理想を追い続け、妥協しない姿。仕事の後、飯に誘ったりはしないのは、みなさんが、家族と家で食事をとるからという配慮。
ドームで1500席売れ残れば、失敗という副社長のとらえ方、
小田自身は、ドームは、顔が見えないだろうから、まずは断るという。
 
俺も今回なんで、東京体育館なのかな?と思ったが、
なるほど、上記のようなやりとりが、社長と副社長の間で交わしている、
否、それすら否定し、社長と副社長じゃなく、古くからつきあってきた男同志の意見だと。
 
この副社長さんは、明大野球部出身で、卒業後、生命保険へ務めていたそうだ。
オフコースの「さよなら」が売れてブレイク中にもかかわらず、その存在すら知らずに、
オフコース5人とスタッフとの親善野球に、あることがきっかけで参加し、
やがて、小田から、オフィスへ招かれたそうだ。
 
さて、その東京体育館だが、
収容一万人とドームの5分の一。
つまりは、小田が主張するところの顔が見える距離でやりたいということだったのだろうと思う。
それでも花道は用意されていて、どこの席からも、見えるぐらいの距離感だった。
 
ただ、あのドームの総立ちのノリはなかったのが残念という、箱が違うからかもね。
やはりあのドーム満員状態というのは、観客は立ち見せざるを得ないんだよ。
ポールマッカートニーにしても、小さくて見えないとか関係なく、
連鎖しやすい状況なのだろう。
ところが、東京体育館だと、
むしろスタンドされると、迷惑なぐらい、立たなくてちょっと斜になったりするだけで、
ステージが見えるんだ。
 
小田自身も
「うしろの人、ムッとしてるんで、座ったほうがいいかな」
と興奮気味のファンをいやしていた。
 
今回は、まさに、渾身のアルバムを歌いあげる自分を生で顔がどこからでも見えるように、
そんな思いが強く出ていた。
 
3.11の震災後の苦しい日々、真っただ中の3年前とは違って、
何か、お互いもう悲しみ、苦しみ乗り越えつつある、そんな息吹を感じさせる作品が多かった。
 
印象に残ったのは、
オープニングの「そんなことより幸せになろう」
3.11の一年後に作った「その日が来るまで」ミスチル桜井と野外コンサートで歌ったのが印象的。
そしてやはり、前作のメインの「hello, hello」
といったところが、いい。
過去のヒットナンバーからは、
「ラブストーリは突然に」
「愛を止めないで」
「Yes Yes Yes」
あたりで、
前回のドームに比べると、オフコース時代の曲は少なく、
前作のアルバム「どーも」、新作「小田日和」からの演奏がほとんだった。
 
小田そのものは、前回よりも、声が、昔にもどったというか、
キーの高い男性の声が、よく出ていた。
前回ドームでの「緑の日々」のエンディングで、見せどころの
君とならば生きていける 君のために僕が生きる」
というところでは、ハイトーンで歌わずに流していたのが残念だった。
このフレーズ、ほんと、車の中で、きいてると、泣けてくるんだ。
 
アンコールは2回。
なぜか、フジテレビのアナウンサー軍団、
三宅、軽部、生野あたりの顔ぶれその他多数が、ステージそで下に現れ、
Yes Yes Yesの盛り上げ隊に参戦。
 
正直、この場面が一番の盛り上がりだった。
有吉散歩の生野アナ、初めてみた。
 
すっかり、先週は、しっとり、マッタリの来生たかおのピアノ スタンドアロンに酔いしれ、
「余韻」というアルバム買って、車の中でも来生かけながら、ドライブしてたのに、
あっという間に、「小田日和」に様変わりだな。
小田のアルバムは出来がいい。
来生のは、絶対ライブでの本人のピアノ生演奏と声の出来がいい。和製バリー・マニローだな。
小田はちょっとステージで、はずしたり、失敗するからね。小田を見るだけみたいなとらえ方でいいように思う。
 
さて、残るライブは、
小田のかつての相棒、鈴木康博の10月のステージ。
小田も、今日は、ご当地の映像の中で、
浅草公会堂がちらつと映ったときに、
「昔2人でまわったなって、いいたかった、けど、来ていないからね」
と、コメントしていた。
 
どこかでか、オフコースの2人でやっていた頃を忘れてはいないようだ。
 
そう、それは、事務所の方針で、引き裂かれた、高校時代の同窓生の悲劇にも取れる。