残暑も和らいだというか、
今年は、さほど暑いとは思わない。
むしろ雨がひどい。
俺の経験では、
まだ若き23歳で、四国へ行ったときだな。
高知県の豪雨はすごかった。
野郎2人で、冒険のように、宿は一切、予約もせず、
レンタカーで、岡山から、小豆島へ、カーフェリーで渡り、
小豆島から、香川へカーフェリーで渡り、
徳島で、高知への近道と思い、
剣山という険しい、山を、車で登り、
頂上から、降りるとき、
相棒が、疲れ果て、居眠りをしてしまい、
俺ひとり、下りの運転をしていた。
国道とはいえ、すごく狭い道で、
車2台はすれ違うには、どちらかが、
民家のスペースへよけないと、すれ違えないほどの狭い道を下り続けた。
ふと、そのとき、上りの車と、こすりあってしまった。
グラサンかけた、真白の上下の服を着た、柄悪そうなオヤジが、
車から降りてきて、因縁をつけられた。
「この野郎、どないしてくれんや」と。
俺は、当時、エリート証券マンだった。そんなんで、トラブルはいかん、と思い、黙っていた。
「レンタカーか、お前ら東京もんか」と、何やら、俺達の様子を分析し、観光で、来たことを理解したようだ。
「まあ、宿泊の宿代もかかるだろうから、一万円で、勘弁してやる、ドヤ」と。
そのオヤジの後ろから、次々と車が、連なってきて、後続の車の運ちゃんたちも、車から降りてきて、
罵声が飛び始めた。
立ち往生させてしまい、大ひんしゅく状態となった。
やむなく、一万円を払い、車を端へよけて、上りの車たちを数台、先へ行かせていると、
ようやく、相棒が、目が覚めて、
「どうしたの?」と、すっとぼけていた。
そこから、運転を変わってもらい、
細い山道を下り続けた。
ようやく、大きな道路へ出てきて、高知への足を早めた。
しかし、高知へ向かうときの雨はすごかった。
ワイパーでもはじけ切れず、視界がゼロに近い状態だった。
さすがに、3日もろくすぽ、まともな寝床もないままの旅に疲れ、
高知駅の案内所で、空いている宿を探してもらい、
桂浜へ急遽、宿をとった。
そこは、西武ライオンズが合宿でくることでも知られている宿で、
宴会場を、仕切りで、区切り、
テレビも置いてくれて、
野郎2人には十分な部屋だった。
飯もフルコースの和食で、旨かった。
しかし、月の桂浜もこの雨じゃなんにもならんという状態だった。
ニュースでは、高知は、
大雨強風洪水注意報が出て、大ピンチの夜だったんだ。
それでも、宿の親父さんは、なれているのか、
平然として、新聞を読んだりして、
ロビーにいた。
「明日、足摺岬へ行きます、雨大丈夫ですかね」と話かけると、
「アシジュリへいきなはるんか」と。
給仕の女の子にも同じ質問をすると、
やはり、
「あしじゅりへですか」と。
発音はどうやら、
「あしずり」ではなく、「あしじゅり」というようだと悟った。
その後も、険しい一日、400kmの旅は続き、
愛媛の松山の坊ちゃんの旅館は、残念だが、遠くから、見ただけで、
通り過ぎ、
簡易旅館で、仮眠をとり、
落成したての瀬戸大橋を渡り、
途中、島におりて、写真を撮り、岡山へ到着。
26年前の夏だった。ちょうど、お盆過ぎた、今頃だった。
大学を出て、新入社員で、初めての夏休みが、
そんな、同期入社の新人の男2人の険しく、ほろ苦い、冒険だった。
広島では豪雨で、大変なことになっている。
地震や台風だけでなく、
大雨の恐ろしさを物語っている。
今思うと、ほんと、あの旅も一歩間違えれば、
命を落とすような、豪雨の中を車で、走り続けた場面もあったんだな。
最近は、こじんまり、近隣で、ぶらり、グルメの探索で、
十分だとつくづく思う。
その夏休みを終えて、出社し、
「夏休みどうだった?」と上司に聞かれ、
「四国一周しました」というと、
「金毘羅さんとか、松山とかいったのか」と聞かれ、
「いえ、行ってません」と、ただひたすら、車の旅だったことを言うと、
「何しに四国いってきたんだお前」と、
上司もあきれ果てていた。