あの日は、会社の得意先のお客様のお誘いで、
焼肉屋さんで、晩餐の予定だった。
午後、勤務先のビルで異変が起きた。
トイレの水が逆流していた。
そして、午後3時過ぎ、とてつもない揺れがきた。
俺の背後は、出来たばかりの舎人ライナーが、
走行しているが、自動停止した。
そして、その高層のレールが大きく、揺れていた。
本棚が、いつ倒れるかわからないぐらいまで、揺れ、部下と俺で、支えた。
コピー機が、床の上を、
滑り出した。
5,6分は最低でも揺れ続けただろう。
その後も、数回、同じもしくは、やや小さめぐらいの揺れが、
起きては、本棚を手でささえた。
隣のビルの屋上の浄水口から、水が、溢れでているのが見えた。
舎人ライナーは完全に止まった。
その後、揺れが落ち着くと、
一緒にお客さんの晩餐へ行く先輩営業が、
「電話何回もして、やっと通じた、今日は中止だ」
と、言いに来てくれた。
午後、5時ぐらいで、ようやく、会社側から、
帰宅できるものは随時解散、
交通事情で、帰宅困難者は、会社待機と、
判断が下された。
俺は、チャリで、帰宅。
途中、レンタカー店が、行列なのを見た。
特に、道路の地割れなどは、見当たらず、
帰宅できた。
マンションのエレベータは、停止していた。
階段で、13階まで、上った、入居後、初めての体験だった。
部屋に入ると、
特に異変はなく、
食器類も、割れたり、
何か倒れたり、破損も見当たらなかった。
ガスを点火したが、つかなかった。
PCで、メール確認をした。
すると、友人から、
安否を気遣うメールが来ていた。
「ガスが点かない」と返信すると、
集合住宅なら、たぶん同じだろうから、
外の機材のマイクロメータをいじれば大丈夫ではと、教えてくれた。
その通り、ガスは修復。
しかも、東京ガスの年一点検の予約を、入れていたので、
ラッキーにも、翌朝、点検が行われた。
俺は、食い物確保にスーパーへ走った。
缶詰類を、買い込んで、帰宅。
実家へもようやく、夜の10時過ぎると、
携帯から、電話が通じた。
仙台の母の妹の叔母は、行方不明。
その娘である従姉は、被災地へのがれた。
大熊町に残った母の姉の叔母の次男も、
会津へ逃れた。
かくして、東電が福島へ出来たことで、
夏休みの宿題の作文書く材料だったのに、
今となっては、故郷を亡くしたことにほかならない。
生まれて、初めて、海水浴したのも、
福島県の海だった。
毎年、夏休みには、
祖母の家へ、親戚一同集まった。
カブトムシ、ミヤマクワガタ、
朝、木々にとまっているのを、
捕まえたもんだ。
大自然の故郷と、
生活している東京の狭間で、
俺は育てられた。
こんな風に、歴史的な大震災で、
母方の故郷を失う形となった。
あれから4年。
阪神淡路から、東日本へと、
災害からの復興は、まだまだ、道半ば。
世界各地では、テロ行為や残虐な事件が、起きて、
地球は悪いことのほうが、多いみたいだ。
福島では、汚染水が流出、頻繁に起きている。
放射能。
科学の進化、そんな人類の進化の過程が、原因で、
人類そのものを、苦しめることにほかならない。