サダチルシア~sadachilucia’s blog

サダチルシア=サダチル(さだまさし+ミスチル)+パコデルシア

初めてバンドで演奏した曲~初めてオリジナルを見た

秋は短いのか、
木枯らしが吹き、
もう冬へ突入の予感だ。

今日のテニスは、充実した。
当初、人数少ないと見込んでいたが、
多数の参加で、
この秋最後のテニスを楽しんだという感じだ。

さて、今宵は、
WOWOWで、
デニス・デ・ヤング
のソロライブが、放送されている。

実は、この個人名では、誰だか、わからなかったのだが、
かつての、スティクスのボーカルだった人のようだ。

スティクスといえば、俺は
ベイブ
という曲が好きだ。

かれこれ、30年以上も前の曲だと思う。

ところが、俺自身は、
この曲が、
バンドで、一番最初に演奏した曲なんだ。
洋楽は、ビートルズで入って、
邦楽は、かぐや姫で入って、
ギターを買って、演奏していた。

やがて、バンドを組んで、
なぜか、この曲を選んだ。

当時、スティクスの映像はなく、
ラジオか何かで、聴いただけだと思うが、
とても、いい曲だと思った。

そして、今30年以上の時を超えて、
そのボーカルだった、
デニス・ヤング
という人が、
白髪ではあるが、
容姿は端麗、
声も、ハリのある高音で、
当時の「ベイブ」
とちっとも、違和感がない。

スティクスの現役の頃は、
一体、どんなんだったのかと、
全米No.1の実力を知りたいもんだ。

先週、来日していた、ホール&オーツの武道館は、
テレビで生中継されたが、
ちょっと残念な気がした。

ロッド・スチュアート、ビリー・ジョエルらが、
ビートルズの後、出てきたが、
その後、
乱立するアメリカのロック、ポップスのスターが、出てきた中で、
が抜きんでるまでの架け橋に過ぎなかったとでもいうぐらいの、
過渡期的役割で、終わったアーチストたちの一部かもしれない。
マドンナ、
多くのファンが今尚、いるのは間違いない。

そんなアメリカ中心のロックシーンの中で、
なぜか、スティクスを俺は選んだんだ。

にも少し似ている、
センチなメロディーと同時に、
ギターが、ボーカルの合間に、演出する雰囲気は、
やはり、俺好みだったのかもしれない。

イーグルスが、ドン・ヘンリーのボーカルが無けりゃ、
どんなに曲が良くても売れなかったかもしれない。
同じように、スティクスの「ベイブ」は、
デニス・ヤングのものなのだ。

自然から生まれるものは、
どれ一つとして、同じものはない。

昨日、古畑任三郎の再放送で、
そんなセリフを役者に語らせていたシーンが印象的だった。

15年以上も前なんだな。このシリーズが放送されていたのは。

誰もが夢見ていた21世紀の扉は、
コンピュータ社会で、
2000年問題という、世界的課題を抱えてスタートした。

その狭間で、なかなかこの、
三谷幸喜の作品は、
役者にいろんな世相をしゃべらせているのだと、
今さらながら気が付いた。

そして、このスティクスという、
んー 
ビッグスターというにはどうかという位置づけだが、
改めて、
「ベイブ」
という1曲。

そして、俺が、バンドで初めて、演奏曲に選んだけど、
深い意味もなく、
お茶の水の楽器屋のスタジオ借りて、
自然に生えてきた草のように生きていただけの自分みたいの、
これからはそれが大事なのかもしれない。

政治、経済、科学、
いろんな政策、手段を講じても、
一向に上向かない、日本経済。

セールスマンのように世界を走りまくり、
安倍総理が、各国との提携の橋渡しに、
一役買っている。

一体、誰に何ができるというのだろう。

ただ、地球という大地に、生えてきた草花と同じように、
野生の生き物が、生まれてきたことと同じように、
人間だけが、尊厳を持っているなんてことないのに、
造りすぎては失敗をした、
それが、
わざとらしい人間の生き様であり、
次の世代は生えてこない、
最悪の生命の存亡、
それが人類。

スティクス「ベイブ」のボーカルの映像を見て、
改めて、
草花のように生きていた自分を、
甦らせた。