この3日間は、だった。
昨日は、猛暑の中、
ホームセンターとかで売ってる、
簡易スプリンクラーをホースにつけて、
テニスコートに、水分を撒き、4時間、どうにか凌いだ。
夕方、さらに、プロコーチの猛特訓。
さすがに、フィジカルが、限界で、動けなくなると、
専属コーチも、不満気で、
「この練習は、苦しいという条件下を想定しての練習ですよ」と、
まさに、前半、徹底的に、走らされ、バテバテの中での、
細かい、ショットで、凌いでいくというメニューだった。
それを真夏の猛暑日、しかも、俺は、昼間4時間も、
すでに、テニスをしていたし、
50歳を過ぎたこの体には、どれだけ過酷であることか。
まあ、でも、ほんと、こういう趣味の世界で、得るものってあるな。
苦しいときこそ、一発ショットで決めたいのは、プロもアマも同じ。
しかし、そんなリスクを背負って、打ったショットなんて、
そう簡単に通用しない。
それは、相手もバカではないからだ。
苦しいときこそ、地道にコツコツという戦術を、
続けたうえで、
隙ができての、一発を生む。
この謙虚さを見につけることが、この日の重要なメニューだった。
確かに、最近、俺自身は、
・サーブの威力も増し、
・ボレーの質も上がり、
・バックはダブルハンドに改造し、返球率も向上し、
テニスの幅は広がった。
しかし、欠けていたのが、
地味なショットを続けていくことだった。
大味なサービスエース、
たまにしか出ない、スーパーショット、
これだけでは、テニスは、勝てない。
実るほど頭を垂れる稲穂の如く
多く実をつけた稲穂が、垂れ下がる様のように、
多くの技術を身に着けて、謙虚な姿勢で、臨み、
ギャンブル性を低く抑える。
いろんな道に通じることが、こうして、テニスからも習得できる。
さあ、かくして、3連休の終わりに、
〆のグルメは
もう居酒屋に行く必要ないな。
鰻のヒレ串、肝串、
そして、ナンコツ焼き。
近隣の店で、手に入ってしまうんだから、
これじゃ、下手な居酒屋よりも、家飲みのほうが、
安くて、旨いって状況だ。
日本国内は、重要な国政の真っただ中だ。
のんびり休んでる俺は、やはり、
アナーキーなのかな?
読売ジャイアンツにいい選手が、集まるように、
自民党にいい議員が集まるように思う。
この牙城は、くずれない。
民主党政権は、運悪く、3.11に見舞われ、
その未曽有の事態への対応に批判を浴び、
崩壊した。
しかし、先の熊本大地震で、多くの被害が起きた直後でも、
自民党は、
今回も議席数を伸ばし、
底力の強さを示したのは、事実だろう。
人の流れというものも、
そう簡単に、変えられないものなのだと思った。
そういう意味では、
革命家とは、寂しい立場だな。
表舞台で、世界をよくするために、
頑張った挙句、世捨て人になってしまうようなものだろう。
また、一方で、
潜伏下にいる、無言の人々の、訴え。
知らないところで、人目に気づかれないところで、
実は、役に立つような骨を折る、
縁の下の力持ちが、
いろんな世界、社会、職場、学校で、
存在している事実。
作詞の永六輔さんが、逝去。
海外進出した歌手、アーチストはいるが、これほど諸外国で受け入れられた日本の曲は、
無いだろう。
遠い空の上にある幸せ
そんな遠い手の届かないものに、
一人、涙とともに、歩く、星空の下にいる人も、
さぞかし、当時は多かったからこそ、受け入れられたのかもしれない。
そして、その作品が生まれ、50数年過ぎた今も、
あてはまる世の中へのメッセージ、応援歌ではなかろうか。
相反して、
頭を垂れて、
日の当たらない人々の苦労を、
政治はもっと知るべきなのだ。
上だけを見ていないか?
つまり、ただ、金融、経済の側面からの立て直しが、
一部の物差しよりも上の層にだけ当てはまり、
それおより下の層には、あてはまっていない。
下を向いてる、稲穂ほど、実を多く育んだ稲なんだよ!