サダチルシア~sadachilucia’s blog

サダチルシア=サダチル(さだまさし+ミスチル)+パコデルシア

SHOGO HAMADA~30年かけて、やっと見れた

大学時代、ギター2本、ベース1本の、
3人組のバンドをやっていた頃、
片っ端から、演奏したい曲、
取り上げた、中で、
が俺は一押しだった。

3人のうちの1人は、
最初は、あまりよく思っていなかったが、
いろいろ情報を集めたらしく、
ブレイクし始めていることに気付いたらしい。

片思い」は、もちろん、浜田の代表作だが、
いつわりの日々
丘の上の愛
などが俺は好きだった。

当時、コンサートチケットは、
プレイガイドで並ぶ手段がメインで、
徹夜で並ぶ根性ないと、ダメだった記憶がある。

チケットぴあで、電話で先着なんてのは、
大概、電話が混雑してるので、おかけなおしください、
なんて状況だったかもしれない。

やがて、社会人になり、
その頃、J.BOYという2枚組のアルバムが大ヒット。
もうひとつの土曜日
というアルバムの挿入歌が、当時は、
カラオケで、よく歌われていた記憶がある。
続いて、発売の
FATHER'S SON
も俺的には、、いいアルバムだったと思う。

その頃、会社の同僚と、
四国一周の旅を、レンタカーで、
珍道中という、俺にとっては、初めての、
旅らしい旅で、
車では、浜田省吾のカセットをかけまくった。

その後、浜名湖での野外ライブがあり、
これもチケットは取れず、
ほんと、浜田省吾は、
なかなか、見ることは出来ないアーチストだった。

そして、ようやく、
30年もの年月をかけて、
を見ることができた。
一年前に、会員登録して、それでもなかなかチャンスはなくて、
ようやく、
マッチングシステムという、
やむを得ず、チケットをキャンセルした人の分の、
再販売の分で、当選したのだ。

巷のチケットの転売サイトだと、とんでもない値段になるし、
いい値段でとれたかと思うと、
ギリギリで、
なんだか、わけのわからん指値で、獲られてしまい、
その販売人から、
入札拒否されたりする。
おかしいよね。
多分、こういうのって、ダフ屋だと思うぜ。

さあ、そんな30年の思いを、
ようやく、すっきりと結果に結びつけた日を迎えた。


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ダサイたま、なぜか埼玉、タモリの埼玉、千葉のこきおろしネタに、
されてきた、埼玉だが、
今となっては、
コンサートやスポーツに、
このアリーナは、利用せざるを得ないだろう。
上野から、30分程度だし、
多目的に利用できるし、横浜アリーナ並みの規模だしね。

俺みたいな下町者が、日暮里から行くなら、
山手線で、渋谷よりも、
京浜東北で、さいたま新都心のが、
よっぽど、いいかも。生き返り、座れたし。
京浜東北の乗客は、なんか、お上品やさくれがいない。

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さあ、ようやく、ゲートインだ。
撮影、録画は禁止だが、飲食OKという、
結構、フランクな配慮。
ケンタッキーも売店に入り込んでいた。

さあ、そのコンサートは、
3時間半の予定だったが、
休憩挟んで、
4時間のビッグライブとなった。

髪の毛が、白髪になった以外は、
特に、代わり映えしない出で立ち。
声も、少し、いきがった感じのしゃべりは独特。

事前に、かなり濃いライブであると、SHOGO HAMADAのブログで、掲載されていたが、
どの辺の濃さかは不明だが、
今時、4時間も、
コンサートを経験したことはない。
せいぜい、3時間のライブが、小田和正が、最大で、
4時間はないな。

しかも、屋外の昔からの伝統うけついだ、
長時間のアーチストの入れ替わり立ち代わりのライブならともかく、
1人のアーチストで、4時間、持たせるというのは、
やる側もかなり困難なのではと思う。

しかし、こってりの、浜田省吾の世界観があったんだね。
むしろ、今までのツアーの中では、短かったのでは?とさえ思わせるライブだと言えよう。

生ライブでしか、伝えられてこなかった、
ファンへの配慮が、見事だった。

デビュー曲の
路地裏の少年
に始まり、
1stステージは
古い曲、つまり、俺が、
大学時代から、30代半ばまで、聴いていた曲。
休憩挟んで、ようやく、昨年発売の
Journey of singer song wirter
の新曲へ移っていく。

ここで、問題が
しいて言えば、このさいたまスーパーアリーナの、
設備面では、
トイレが少なすぎると思った。

休憩時間15分で十分だが、
スーパーアリーナは、キャパは、
ステージの設定により、
37,000にもなるときもあるし、
今宵は、17,000人ぐらいと聞いている。
各階にほぼトイレはあるが、
5~7人しか入れないので、
大行列になってしまい、
これを15分で戻ってくるのは、無理だろう。
トレイの近い人は、長いライブはだめだね。

2ndステージの途中、
いつも恒例の企画だそうで、
年齢のアンケートを、浜田自ら、調査をするシーンがあったが、
50代、40代が一番多かった。
やはり、俺のような世代のファンが多いようだ。

でも中には、お子さん連れ、80才以上の方もいたのには、
驚いたね。
浜田もカメラマンと、上手に連携をとり、
その年代別の人達を、ステージ背後の
巨大スクリーンに、投影し、
ファンとの距離感を近づけていく。

セットリストは、
俺の期待していた「片思い」、「愛のかけいひき」、「Moneyは含まれず、
それ以外の曲は網羅されたと言える。

最新アルバムからの曲のあと、
あのJ.BOYという代表作で締める。

一度目のアンコール後は、
なにやら、ステージの後ろに、
いろんな風景、アニメが上映され、
最新アルバムからの、
アジアの風という、3部作の構成と思われる。

2度目のアンコールは、
出てくるやいなや、
アカペラで、バンドメンバーで、J.BOYの挿入歌
「こんな夜はI miss you」
を歌い上げ、
「家路」
というHOME BOUNDの挿入歌。
そして、最後は、やはり、
「On The Road」で締めくくった。

鳴り止まない、アンコールに、
三度、出てきて、
軽く手を振る程度で、演奏はなく、
ステージを去った。

また、みるチャンスがある、そんな可能性を仄めかしたのかもしれない。。。

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スーパーアリーナの道路を渡り、すぐ隣のけやき広場。夜は、イルミに包まれていた。

京浜東北のさいたま新都心の改札を出て、アリーナ方面へ200メートルほど歩くと、
この場所になる。
ここで、広場には、出店があり、エスニック系のウインナー焼いたのだの、
パテにくるんだ料理だの、スタンド、もしくは、周辺のベンチへかけて、慣れている人は
ここで、飲食を済ませ、アリーナへ入るようだ。
さらにlすぐ後ろのエレベータを降りると、
屋内の落ち着いた飲食街がある。

俺はさっさと、混雑する改札から京浜東北にのり、
運よく、席も空いてたんで、座って帰れた。
渋谷、新宿いくとき、山手線は座れないのに、
京浜は、なんか相性いいな~。乗客も穏やかな正確に思える。

日暮里から常磐線に乗り換えると、
途中、信号トラブルの連絡があり、急停車に見舞われる
トラブルに出くわした。
が、3分間の停車から、復旧した。
だから、電車って嫌いなんだ。
危ないめに合うと、箱詰めにされ、立ちっぱなし。
たまたま、勝田行きだったから、トイレも設置の車両だが、
取手行きだと、そうはいかないからね。
コンサート会場といい、電車の中といい、トイレの話ばかりだ!
でもね、ほんと、こういう、ライフラインていうか、
重要だと思うよ。
まだまだ、設備や工夫が、不足していますね。


さあ、下町のおいらは、やはり今宵もここへ、既に10時を過ぎた。

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浅草 
モツ煮込みテイクアウト。
そして、若女将が、生玉子サービスで2個くれたんで、
家で、ニラ玉ならぬ、キャベ玉つくりました。
そう、この玉子の下に、キャベツ刻んだのが、敷いてあるのです。

若女将は、俺より、だいぶ世代は下なんで、
大女将と、浜田省吾の話して、ちょいと、盛り上がっちまった。

好きなことは、なんでもできる!
ただ、それだけで、いいのかもしれない!

思えば、ビートルズ知ったのが、
12歳の頃。
その実物の一人を見たのは、3年前のポール・マッカートニーの東京ドームが初めて。
37年かけて、見たわけだ。
そして、浜田省吾は、ほんと、チケットとれないアーチストで、
30年かかった。

勿論、途中、俺も子育てとか、曲りなりに、父親だったんで、
趣味から遠ざかっていた時期もながかったからね。


描いた夢と 叶った夢が まるで違うのに
やりなおせもしない
浜田省吾 詞・曲「MId Night Blue Train」)