4月4日のサダんまPresents「アコパラ」で、評価の良かった、
しゅうさんが、風に吹かれての店長から、出演依頼がきて、
プロミュージシャン、水野たかし氏
と対バンライブを、
5月15日(金)に開催され、お声もかかったんで、
会議も早く終わったことだし、間に合いそうだから、足を運んだ。
しゅうさんが、風に吹かれての店長から、出演依頼がきて、
プロミュージシャン、水野たかし氏
と対バンライブを、
5月15日(金)に開催され、お声もかかったんで、
会議も早く終わったことだし、間に合いそうだから、足を運んだ。
この店に来ると、つくづく、70年代フォークの裾野の広さと深さを思い知らされる。
現代音楽の裾野が、着うたフルによる広がりが重視されている中、
アーチスト同士のつながり や そこに本人が存在している
ことの意味が、改めて、見直されればいいのにと思った。
携帯の中にいるアーチストをいつでもどこでも、というオンデマンド志向の音楽の
享受の仕方を今ひとつ、サダチルは受け入れられずにいるのは事実だ。
現代音楽の裾野が、着うたフルによる広がりが重視されている中、
アーチスト同士のつながり や そこに本人が存在している
ことの意味が、改めて、見直されればいいのにと思った。
携帯の中にいるアーチストをいつでもどこでも、というオンデマンド志向の音楽の
享受の仕方を今ひとつ、サダチルは受け入れられずにいるのは事実だ。
水野氏のアルバム「Here I am!」
というのが出たそうだが、
まさに、そこに自分が存在していることの意味が、今、この世の中には
大切なのではないだろうか。
というのが出たそうだが、
まさに、そこに自分が存在していることの意味が、今、この世の中には
大切なのではないだろうか。
サダチルも1人で、弾き語りしていると、
サウンドの厚みがほしいなとか、コーラスが入るといいなとか、思うときがあるが、
聴いてるほうには、関係ないようだ。
未だに、追っかけしている、伊勢正三ライブでは、何が目当てかというと、
ライブの途中での、正やんのギター1本での弾き語りコーナーが、見たいからだ。
バンドを従えて、どんなアレンジだろうと、
やはり、そこに立つ、正やんが居なきゃ、コンサートは、
全く意味を成さない。
逆に、正やんが1人、ステージにいれば、コンサートは成立してしまう。
サウンドの厚みがほしいなとか、コーラスが入るといいなとか、思うときがあるが、
聴いてるほうには、関係ないようだ。
未だに、追っかけしている、伊勢正三ライブでは、何が目当てかというと、
ライブの途中での、正やんのギター1本での弾き語りコーナーが、見たいからだ。
バンドを従えて、どんなアレンジだろうと、
やはり、そこに立つ、正やんが居なきゃ、コンサートは、
全く意味を成さない。
逆に、正やんが1人、ステージにいれば、コンサートは成立してしまう。
これが、「Here I am!」なのか。
この日は、偶然、サダんまのキーボード奏者、六休ちゃんが、
会社の帰りに来ていた。
1ヶ月ぶりの再会で、えんまさんが、今、諸事情あり、活動は当分無理だから、
お互いソロで、やってるしかねえなと言葉を交わした。
会社の帰りに来ていた。
1ヶ月ぶりの再会で、えんまさんが、今、諸事情あり、活動は当分無理だから、
お互いソロで、やってるしかねえなと言葉を交わした。