サダチルシア~sadachilucia’s blog

サダチルシア=サダチル(さだまさし+ミスチル)+パコデルシア

GWへ突入~今のオレ

とても寒い冬が終わり、桜は、早々と散り、
やっと春かと思えば、強風や雨だったり、
ようやく、GWを迎えることができた。
 
膝のほうは、まだ万全ではない。
階段の上り下りのとき、痛みが走る。
 
サダチル城へ完全に移り住んで、
丸6年か。
感慨深い思いとかは、今はもうない。
 
今の自分にしかならなかったという事実を、
受け入れることができたからだろう。
 
ここへ移り住んだ頃は、
ギター持って、ライブハウスへ通うのが、唯一の拠り所だった。
 
行きつけの店で飲む、オヤジたちの心境に、共感した日々も長く続いたもんだ。
酒場で、いろんな思いで、皆、何かを払拭しようとしているんだな、と思った。
そこは悲しみの捨て場所。
 
ただのサラリーマンも、社長も新入りもない、立場など無関係に皆、
何か物思いにふけりながら、酒を飲んでいたり、語ったりしている。
 
最近は、ケロっとした顔で、暖簾くぐると、
あまり歓迎されていないようにさえ思える。
 
もう今の俺みたいなのが、来るところではないような。
 
以前は、雨が降ってくると、ビニ傘をくれたりしたもんだ。
 
長いトンネルだった。
暗闇を走る汽車のように、レールを一所懸命走っているのに、
なかなか、出口が見えて来ない。
 
けど、今は、叙情派フォークも唄う心境ではなくなってしまった。
 
先日、テレビで、加藤和彦さんのフォークル仲間 かたやまおさむと和幸でユニットだったアルフィーの坂崎が、
加藤氏を送る会のライブが放送されていた。
 
印象に残ったのはこの歌。
きたやまさんのコーラスがとてもいい!
 
高度経済成長の頃は、こんな心境で誰もが、前へ進んでいたのに。
経済だけでなく、自然災害に脅かされ、これからどうなるんだろうって、
まるで終末の真っただ中の日本。
 
そんな世間とは無縁で、毎晩、爆睡で、早い目覚め。
この冬は、いろんな老化現象に見舞われたが、
ついでに、若い頃味わったセンチな心の傷も癒えつつあり、今は、ただのモノクロフィルムに。
 
だからこそ、なんかこんな、ちょっとコミカルなフォークソングが、心地よかったのかもね。
 
 
「家をつくるなら」
作詞:松山猛 / 作曲:加藤和彦
 
家をつくるなら
家をつくるなら
草の萌えるにおいのする
カアペットをひきたいと
思うのであります
 
家をつくるなら
家をつくるなら
天体観測をする
透明な屋根だって
欲しいのであります
 
家をつくるなら
家をつくるなら
小鳥がとびかうし
花だって咲いてるベッドが
欲しいのであります
 
家をつくるなら
家をつくるなら
太陽を盗んできて
おおぶんとランプにして
ストーブにしてしまおう
 
家をつくるなら
家をつくるなら
長い髪と黒い瞳キラキラ星の
無口なやさしいあの人をお嫁さんに
したいものであります

家をつくるなら…
 
 
加藤氏を見たのは、3年前のつま恋での、南こうせつ・サマーピクニッtクフォーバー
で、ゲストで出たとき。
その直後に、永眠したのでした。
 
自宅のスタジオの機材は片づけてしまい、
マチュア時代の写真だけが、残っていたと、
かけつけた きたやま氏は語っていた。
そして、きたやま氏も、自宅には、そのときと同じコンサートの写真を、
飾っていると。
 
北山修さんは精神科医でもあるので、
「ミュージシャンというのは、ステージで、嘘の自分を演じているのであります。いつも、現実とは異なる自分を表現しているようなものだと思います。私もそうですが、彼もきっと、アマチュア時代のそのままの自分だった、あのころの自分に戻る」という意味だったのではと、分析したのでしょうか、そのような内容を語っていた。
 
ミュージシャンだけでなく、プロのスポーツマンだって、サラリーマンだって、
身の丈に合わないことをしたり、演技をしたり、鉄面皮をかぶったり、せずに、
そのままの自分であることが、いいのでしょうね!