サダチルシア~sadachilucia’s blog

サダチルシア=サダチル(さだまさし+ミスチル)+パコデルシア

Eight Days A Week見た?~38年前の夏のような気分

今週は、月曜祝日のため、
週労働は、日(4 days a week)だったのに、
キツカッタ
梅雨明け、猛暑、
大嫌いな夏の始まりとなった。

去年の9月だったか、
ビートルズのドキュメンタリー、幾つもあるなかで、
またしても、未公開映像含むとかで、
話題となった映画「Eight Days A Week
が、今宵、WOWOWで、放送された。

もういい加減、未公開映像も、
さほどのものはないだろうと、思っていた。
ん~、大方、予想通りの、
ある部分は写真、ある部分は動画で、
モノクロ、カラーが混じりあい、
目がちかちかしてきた。

しかし、その昔、中学3年の夏休みも、
3日連続だったか?
NHKで、ビートルズ特集が、深夜に組まれた。
ワシントンD.Cアメリカ1回目のツアーでの映像が、
今でも、焼き付いている。

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デビュー曲「Love Me Do
から1年、
「Please Please Me」
が、全米No1になる。

トップを夢見た、ジョージに、
ジョンが、
「どのくらいのトップになるのだい?」
と問いかけると、
「トップのもっと上だ」と答える。
夢のとおり、
トイレもついてない部屋に4人一部屋で宿泊していた、
セミプロ時代から、
アメリカ本土へ降り立ったのだ。
シングルは、3か月に1枚
アルバムは、半年に1枚
というジョージ・マーチンとブライアン・エプスタインの計画で、
ヒットを飛ばし続ける。
その後、ジョンの人生そのものを歌った「HELP」で、
A Hard Days Nightに続く映画化、
そして、再度、アメリカ公演で、シェア・スタジアムという野球場で、
ミュージシャンとして、初のスタジアムコンサートが開催された。
特別あつらえで用意された、巨大なVOX社のアンプ。
街の自治体が持ち歩く防災放送で使うような拡声器を数個つなげた、スピーカー。
PAはなく、最悪の音響で、演奏は、届けられた。
そして、この公演の後、
トップを夢見た、ジョージが、
一番最初に、
「もうライブはやりたくない」と語った。

その後、ジョンのキリスト批判の発言で、
世界のいたるところで、ビートルズ排斥運動がおこる。

そして、三度の全米ツアーを後にする際、
用意された車は、
護送車。安全のためかもしれないが、
もはや、スーパースターのVIP扱いとは、違っていた。
その車中で、ライブ休止を、決心したという。
日本公演でも、武道館へは、護送車での送迎だったそうだが。

何年も、Please Please Meを歌っていられない
と語る映像もあった。

しかし!
どうかな?
生きてりゃ、今頃、
ありえなくもなかったのでは?
4人そろっての東京ドームも、武道館も。

ポールだって、今尚、1人で、
A Hard Days Night
唄っているんだから。

ライブ休止後、ビートルズは、
と改名し、
スタジオでの音作り、
自作自演の映画など、
活動方針を変えていくのである。

大筋は、どのビートルズのドキュメントも同じだが、
それを表現する未公開映像が、
今までにない、
4人の想いが、
異なった形で、伝えられた映画「Eight Days A Week」。

ポールの代表作「Yesterday」は、この映画には、収録されていない。
4人のうち誰が、主役というわけでもなく、
50年以上も前に、ピークだった、
アメリカ公演を中心にした映像で、
世界のトップスターの夢を実現し、降り立ったアメリ
サーカスの見世物と変わらぬ存在と感じ、ライブ休止を決心したのもアメリ

描いた夢も100パーセントの実現ではなかったのかもしれない。
どこか、不満足気な4人の胸中を、
映画「Eight Days A Week」では、描かれていたように思えてくる、
ビートルズアナザー・セレクトの目線だった。

否、もう残っている未公開映像が、
そのようなものしかないのかもしれない。

アメリカへ降り立った際、
「君は誰?」の質問に1人ずつ紹介される場面で、
ジョンが、
ジョン・レノンイカすギター担当
という。
個性的なボディ・シェイプで、ジョン・レノンもさぞかし、
このギターが好きだったのではなかろうか?

サダチルもブログの中だけでも、こんな夢、描いていこう。
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