親類が、仲睦まじく集まる月という由来が、あるそうだ。
その1月も終わり。
雪の多いスタートのようだ。
温暖化の地球とは裏腹に、こんな、寒い世界を思えば、
まだまだ、人類の生きながらえる理由へと結びつく、睦きではないか。オメエたまにはいこと言うね
寒さを、吹き飛ばす科学も、暑さをぬぐう科学も、
今となっては、人間の過ちの一つではないかとさえ、思う。
機械、科学が優先、どこか、人間の徒然なるままの暮らしが、
忘れ去られてしまった。
だらけた1日、
酒飲み過ぎた夜、
寝坊した朝、
入りそこなった風呂、
こんな事をやってる奴は、今どき、クズに扱われやしないか。
こんな自分が、どんなにか、人間らしいことかと思うぜ。
4年以内に70%の確率で、首都圏に、大震災が、来るという。
それは、何事の不思議でもないのではなかろうか。
一
光リコボルル
北原白秋の詩を思い出す。
高校時代の担任の先生の恩師が、
現代国語の参考書を書いていて、
その裏表紙の扉裏のレイアウトに、
この
薔薇二曲が、書かれていた。
あの頃の僕は、むしろ、
経済の延長上の働く人々だとか、
突拍子もないことを成し遂げた名人、
そんな人とて、所詮、当り前のように咲いた、バラの花
という解釈だった。
でも、今は違う。
自然災害の猛威、科学の失敗、計り知れない人類の犯したミス、
そんなで出来事に、この薔薇二曲が、当てはまると、思えてくる。
人間ナンテ、ミスの塊(かたまり)。
拓郎の「人間なんて」も、
的を得すぎて、
その悟りすら、あまりにも早過ぎた1970年代だった。