サダチルシア~sadachilucia’s blog

サダチルシア=サダチル(さだまさし+ミスチル)+パコデルシア

短かった9月~大好きな秋だけど、中途半端な季節なのかな

いよいよ、10月です。
雨だらけの9月、すっきりしない日々が続き、
都バスで、通勤したり、
カッパ着て、ライブ見たりと、
そうこうしてるうちに、10月が来ました。

秋も花粉が少しあるんだけど、春先ほどではなく、
わりと、1,2回、耳鼻科いくだけで、
治るんだ。
アレルギー性鼻炎は、思考力に影響も出るので、
空気の汚い東京の街へは、外出もしたくなくなるし、
かといって、部屋は、綺麗に、清掃しないと埃で、やられてしまうし、
大変なんだ。

今週末は、GW以来の大掃除を断行しました。

仕事、遊びに忙しいと、なかなか、家の事っておろそかになるけど、
自分のアレルギーの酷さとアトピーからすると、
やはり、埃は天敵。

ましてや9月の雨続きの日々は、
洗濯物は、外に干せないで、部屋干しになるので、
なおさら、除菌できず、
体に悪いんだ。

今日は、ようやく秋晴れの日曜日。

昼間、清掃の続きをして、洗濯物も結構、乾いて、
夕方、プロコーチとの、
テニスレッスンへ出向いた

サダチル号も、もう生産していない車種なんで、
この車は手放せないな。

今日は、アンディ・マレーバージョンのラケットで、
コーチと打ち合った。

ダブルハンドに改造中のバックハンドストロークも、
うまい具合に、いいショットを放っていた。

テニスは、スポーツの秋。

芸術の秋は、今後は、
毎年恒例、
オフコースの小田の相方、鈴木康博のバンド形式の東京公演。

鈴木康博は、普段は、ギター1本で、フォークソングバーで、
全国を転々としているが、秋になると、
東京渋谷で、3年前から、バンド形式で、
・Save The Love
・1億の夜をこえて
・メインストリートを突っ走れ
・夜は2人で
などを、
披露してくれるんだ。

小田と比較すると、地味な活動ではあるが、
鈴木のギターは、見応えがある。

ホント、この2人が、メジャーデビュー前の、
YAMAHAのコンテストのテイクなんかは、
これから路上で、ギターだけで、ユニット組んでやっていく人には、
とてもいいお手本だろう。
デビュー前のオフコースは、
PPM(ピーター、ポール、アンド、マリー)の曲を、
男3人、もしくは4人で、演奏していたようだ。

最終的に、小田と鈴木だけが、
プロの道に進んだ。
そこから、5人編成になって、
「さよなら」
が売れるまでが、長い道のりだったのだろう。

しかし、その売れたはずの5人組のオフコースは、
売れなかった、小田、鈴木の2人組の時代よりも、
とても短い時間だった。

「as close as possible」という曲で、
小田が必死に、バンドをつなぎとめようと、歌にまでしたのだが、
鈴木脱退後、
4人組のオフコースは、これといったヒットもなく、
終わった。
2年前の小田ソロになってから、初の武道館でも、
この曲が演奏された。

オフコースの母体であった、
鈴木の脱退が、それだけ大きかったかを物語っている。

つまり、オフコースとは、
小田と鈴木だったということだ。

ルーツの鈴木を、事務所の方針で、
「オダ中心で売り込む」となり、
ないがしろにしたことが、
このような、
これから売れていくと思われたビッグバンドの
運命を変えてしまった。

その後、小田はソロになり、
初のソロアルバムの挿入歌で、
「切ない愛の歌をきかせて」
という、鈴木にあてたという説もある、
名曲を歌っている。

鈴木自身は、ソロになってからは、バンドは組まずに、
コンピュータをコンサート会場に、持ち込み、
自身はギター1本で、
ステージには鈴木ただ一人で、
バック演奏は、コンピュータに演奏させるスタイルで、
登場した。

鈴木の信念なのか。

小田や、デビュー前の、小田と鈴木以外に存在していた2人を思えば、
売れてからの、清水、松尾、大間などは、
鈴木の範疇ではないのかもしれない。

俺自身、何年か、バンドをやっていたが、
なかなか、運営は難しいと感じた。

でも、やりたい曲とか、方向性とかは異なっても、
お互い譲り合えば、いいわけで、
大切なのは、
気心がしれていることだ。

息の長いバンドで、
35周年を迎えた。
ボーカル 根本要が目立つ。
サザンの桑田のようなものだが、
スタレビはとてもいいバンドだと言えよう。

再結成することもなく、
既に、2人は亡くなっている。

売れる一方で、
人間としてのメンバーの思いは、
事務所やファンの描く方向性と異なっていくのだろう。

5人時代のオフコースは、まだ、全員、生きているのだから、
是非とも、余計な、しがらみを超えて、
再結成、してほしいものだ。