サダチルシア~sadachilucia’s blog

サダチルシア=サダチル(さだまさし+ミスチル)+パコデルシア

渋谷で5時~1曲遅刻

そろそろ、秋めいていきた。
 
爆睡明けの朝。
何だか、いろんな夢見ていたようだ。
 
今日は、
YAUSUHIRO SUZUKI 30TH ANIVERSARY
と題する、鈴木康博Yass)の、ソロ30周年の記念ライブ。
 
余裕と思っていたが、
半蔵門線が遅れていたし、
駅から5分というネット情報と違って、
10分かかったし。
 
会場について、ホール入口で、係員が、
「演奏の合間でないとお入りできませんので」
と、言われ、一曲目を唄っているシーンは見れなかった。
 
10列目16番席。
 
ちょうど、ステージ中央から真正面の、
アリーナとの境目通路を隔てた、一列目だから、
さえぎるものが何もなく、Yassと目が合う位置だった。
 
一曲目演奏終了し、すぐ、入場し、
YassのMCが始まった。
「30周年だけど、そんなに、重い感じがしないんで、ライブのタイトルは、たどりついたぜ30年にしました」
と語る。
バックは、あちこちひっぱりだこのセンチメタル・シティ・ロマンス
6月の伊勢正三押尾コータローのときも、このセンチのキーボードの細井さんが、参加していた。
 
鈴木康博と言えば、オフコース時代、小田和正聖光学院時代から、
2人組ユニットで、活動していた、相方だ。
 
ルックスは、背が高くて、細くて、
小田さんよりは、かっこいい風貌の人だ。
その後、5人組のバンドとなり、「さよなら」の大ヒットで、
事務所が、小田中心の方針を打ち出し、鈴木は脱退したのが、
1985年だった。
 
その後、ソロ作品を自分で歌いつつも、
郷ひろみ、などに、提供した「素敵にシンデレラコンプレックス
CMソングでおなじみの「Together」などが、あるものの、
これといったヒットもなく、
事務所から解雇され、インディーズレベルのスタイルで、
小さなライブハウスや、
インストアライブなどで、
30年、やってきたという。
 
俺的には、オフコース時代の楽曲が聴きたかったが、
・でももう花はいらない
・一億の夜を越えて
・いくつもの星の下で
あともう一曲ぐらいあった気がするが、
その程度で、
ほぼ、ソロになってからの曲しか演奏しなかった。
 
基本は、センチのバンドは、
キーボード、リードギター、ベース、ドラムの4人で、バックを務めていたが、
途中、Yass1人だったり、キーボードの細井だけ入ったりの場面があった。
 
やはり、Yassの、フローレンタイン・カッタウェイのアコギで、
いくつもの星の下で」が、
最高のシーンだった。
背景の夜空の星が映しだされ、
ギター1本で、歌い上げた。
 
オフコースのアルバム「We are」のA面に収録された、
1980年のYassの名曲だ。
当時は、5人編成で、
途中、Yassのリードも入り、
切ない男の世界を歌う、鈴木康博に、
酔いしれた女性ファンも多かったろう。
 
2時間20分のライブだったが、
飽きることなく、
その昔、オフコースで、武道館で、連続ライブも経験したほどのビッグな存在感は、
今尚、忘れ去られずに、
ベテランらしい、
堂々たる演奏だった。
 
小田さんと比べるのもどうかと思うが、
小田は、ドームレベルのライブも売り切れ状態の存在。
Yassは、小さな箱で、ドサマワリ的な活動にまで、なっていた。
 
しかし、そんな小さなライブで、全国のいろんな町を訪れ、
今回のアルバム「一歩」を引っさげ、
全国47都道府県制覇
をしたという。
 
これもまた、
小田和正とは違った、
全国制覇というスタイルとも言える。
 
65才でも、これだけの、
唄声で、ギター抱えて、
カッコイイ風貌。
 
昔の楽曲を頼らず、
新曲を作り続け、自分で、PCで打ち込み音源で製作した時期もあれば、
サマワリまでして、
まだまだ、これから!
という感じするら伝わってくる未来を見据えた、
アーチストだと思った。