Dogal NR168A
青い弦がめずらしくて、しばらく使っていた。音の鳴りが大きめなので、ライブなんかでは、いいのかな?などと想像しながら、比較的長く、愛用した方だろう。しかしながら、やはり、いろんな奏法があるので、間をつなぐときの、シャカシャカと爪の先で、触れる程度の音を鳴らしたいときに、自分が想定した以上に、結構、大きく鳴るのが、デメリットかもしれない。
久々に張り替えたのは、フラメンコの定番といっていいだろう、
ルシェール(Luthier)Medium Tension
を選択した。ルシェールは、これと、High Tensionの2種類しかないようだ。
やわらかめの弦なので、指への衝撃は少ないと言えよう。
比較的、好きなタイプの弦でござる。
パッケージの裏面は、
以前は、灼熱のギタリスト パコデルシアだったが、
今は、アントニオ・レイになったようだ。
アントニオ・レイの曲は、俺自身は、知らない。
ルシェールは、見た目は、ごく普通のナイロン弦。
ここのところ、フラメンコの内容から遠ざかっていたが、なかなか、上達しないので、ブログに書く内容も、アイテム買ったときの話題ぐらいしかないものだな。
フラメンコの楽曲を1曲習得するのはとても困難なことだ。ましてや、パコデルシアの曲などは、ほど遠いと思うばかりだ。
今年もあと1か月を切った。例年ほど、寒~いという印象が、まだ実感としてはない。
夕方、ウォーキングしていると、隅田川のほとりに、小さな、ボートが停泊していた。東京都の何か公用で使うボートのようだ。
昨夜は、フィリピンのほうで大地震で、日本に津波警報が発令されたかと思えば、今夜は、インドネシアで火山噴火だそうだ。
地球沸騰化問題で、難民も増えているという。
昼間、WOWOWで、タイタニックの映画が放送されていたのを見ていたが、沈まない船などと過大な商業主義の宣伝を鵜呑みにし、贅沢な上流階級たちの無防備な豪華客船の遊び半分の旅が、沈没という悲劇に見舞われるなか、ジャックとローズという若い男女が、生き延びようとする必死な状況下で、親とはぐれ取り残された子供を見かけると、助けようとしたり、脱出を断念し死を覚悟した船の設計者へ声をかけたりと、周囲へも気配りする親切な姿は、切迫感の中でも、やはり、2人の心が通じ合い満たされているからだろう。
自分さえ生き残ればと、パニックの中で、人は、悪魔と化す。
命は誰だって惜しいことへ共感することさえ、出来ないのである。そして、この一隻の船の沈没の瞬間に描かれた乗客のパニックの話から、地球規模の気候変動により、これから、多くの命が奪われていくことになるかもしれないと転用すれば、人類は自分が生き延びるために、どんな行動をとるのだろうかと、考えると、恐ろしい地獄の世界と化すように思えてならない。
部屋でのんびり、ギターの弦を張り替えたり、ぶらりウォーキングして過ごせる週末を、幸せと名付けるべきだろう。
少し早いけど、振り返れば、この一年は、精神のあり方について、いろいろ考えさせられた。荒れ果てた心持の人は、やはりどこか満たされていないに違いない。妬み、恨み、憎しみ、怒り、幸せとは程遠い人たちが、こんなにも多いのかと思えてならない。
自分を満たそうとするあまり、他者への承認欲求が強すぎるのである。拒絶されると、自己否定をしてしまい、不幸せな思いが強くなる。その挙句が、パワハラ、モラハラなどのハラスメント行為、さらには、殺人にまで及ぶのではなかろうか?残虐な殺人事件も後を絶たない。しかも、その本人は、自分の行為が、正しいと思い込んでしまっている。悪事を働いていることに、自覚がないのである。
ダメな自分も自分なのだ、それこそが、自分なのだと、せめて、自分だけでも、ダメな時の自分、出来ない自分を肯定することはできないものだろうか?自分こそが、自分自身の一番の共感者になれるはず。
今の時代、共感者を求めても、そう易々と現れるものではないだろう。みな、自分が生き延びるので精一杯だから。収入だけではなく、この著しい気候変動も、生きることへの恐怖、不安を助長していると言える。
そして、親切に手を差し伸べれば、バカを見る。自分が何かをやってあげても、他者は自分に何もしてくれないのだから。共感者が存在しなければ、親切心は生まれない。他者へ求めず、自分の中に、毎日の暮らしの小さな幸せ見つければそれでいいはず。
戦火飛び交う国もある。黒柳徹子さんが、テレビで語っていたが、戦争がくると、あっという間に、食べ物がなくなるという。配給に回されたり、輸入が途絶えたりするからだろう。15粒の豆で、生活したと語っていた。平和で贅沢な食生活に埋もれて、ダイエットに苦しむなんて、バカげている。食生活もまた、幸福度と関連性があると言える。気持ちが満たされていないから、飲み食いへ依存してしまうのだろう。
家で、ポロンとギター鳴らすだけで、癒されたり、ぶらり、ウォーキングするだけで、平和を感じたりできればそれでいいじゃないか。
by サダチルシア