今日は、もう、5月ぐらいの陽気だね。
そんなんで、居酒屋も、きっと生ビールが、この季節にしては、
伸びてるんじゃないか。
格差社会とはよく言い当てたもんだ。
8時過ぎに行った店が、もうネタなし。
「あるもんでいいい?」と、
ママさんが、ゴメンサイン出しての入店。
マスターも、ネタ選ぶほどないのに、
目を凝らして、一所懸命、焼き物を備長炭で焼いてくれた。
そうかと思えば、とうとう、ごひいきのラーメン屋は、
2月から休業となった。
この店は、弟が、あちこちラーメン修行をし、
地元でオープンした、さっぱり系とんこつラーメン。
客の入りもよく、繁盛していたので、10年来通って、サダチル・シートまで、出来た店だ。
ある日、サダチルと、
サダチル「もっと行列できるようなとこ、行っても勝負できるぜ」と。
弟「ん、タクシー運ちゃんだのくるところで、狭めの店なら、どこでも人気店に見えるよ」
サダチル「テレビでよく、行列のできる店とかやってんじゃん」
弟「あれは、やらせじゃないかな。たとえば、カウンタに15席しかなくて、大通りに面して入れば、どこでも、行列はできるよ」
そんな、会話をした後、弟は、姿を消した。
そう、東京の繁盛しそうな場所へうつった。
そして、兄貴が店を受け継いだ。
その後も、サダチル・シートは、維持されてきたが、
とうとう、休業へと追いやられた。
味もいいし、品質へのこだわりもあり、いい店だった。
葱は、毎日、搬送されるものしか使わず、
麺は自家製麺。
生ビールは、400円という安さ。
餃子は、弟の築いた味を受け継ぎ、
病み付きの味。
またこれで、好きな場所が1つ無くなった。
不況の中、少子化のなか、
どうやって、守ればいいのか。
いろんな人々が、自分が正しいはずなのに、
一所懸命なはずなのに、滅び去る世の中。
まるで夢のない戦争時代と変わらない。
明日、死ぬかもしれない、
明日、会社が無くっているかもしれない、
理想も夢も抱いたところで、なんになる。
日本アカデミーとやらの、受賞の価値も
オリンピック同様に下がっている。
それは、
”生きる”
ということでは、人は、皆、平等なはずだから。
形よく生まれてきた、
性格がよく生まれてきた、
丈夫に生まれてきた、
生き物であるが故、生まれてきた条件が違う。
それを、誰もが、形がよくて、丈夫で、長持ちという、
同じ価値を求めて、競って、手に入れたものの、
やがて、また、別のテーマでは、失敗をし、
破滅に追いやられる。
まるで、満州事変の社会と変わらない。
勝っても、幸せになれない。待っているのは、極寒地へ追いやれて、死ぬ順番が、遅くなっただけ。
幸福とは、不幸の訪れを遅らせているに過ぎない。
一種の延命治療の抗がん剤だな。