サダチルシア~sadachilucia’s blog

サダチルシア=サダチル(さだまさし+ミスチル)+パコデルシア

早春スケッチブック

 
「ありきたりの事を言うな」
の台詞が、印象的で、今も残っている。
1983年1月から始まったフジテレビ早春スケッチブックという連ドラ。
金曜日の夜10時から、かじりついてみていた、高校3年の俺。
もう卒業を目の前にしていた頃だった。
 
主演 山崎勉は、まだ、「お葬式」でブレイク直前の、渋さが売りの
いい役者だった。俺と同じ、上野高校出身というのも、共感できる。
NHKで、「ザ・商社」、「けものみち」などで、脚光を浴びていた時期の
最高傑作ではなかろうか。
 
視聴率は、イマイチだったそうだが、このドラマの影響は、プロの脚本家には、でかかったそうだ。
山崎扮する、沢田 竜彦は、カメラマンで、一人暮らし。眼球に腫瘍ができた病に侵され、その死期を前に、内縁の妻との間にできた離別した、息子との再会への思いをひた隠し、内縁の妻の現夫の連れ子の娘と、偶然知り合い、老いぼれた自分のありったけの思いを打ち明けていく。
 
やがて、その妻とも、息子とも、再会することになる。
このドラマの中身は、何もかも、この山崎勉の「語り」ではなかろうか。
山田太一脚本の、最高傑作。
 
「ろくでなしの末路」
「死ぬのを怖がらず、受け入れたい」
などという台詞を、山崎に語らせる。
 
ハイティーンの悩みの中には、大学どうしよう、就職どうしよう、などという、
将来の心配事はもちろんだが、その延長上にある、死という人間の末路をも、
想像することもあろう。
 
つまり高校生ぐらいの頃は、自分の悩みでいっぱいの時期ということ。
 
その若き日の悩みを、山崎の声と存在感で、
「好きなものがあるということは、素晴らしいことなんだ」
「給料の多寡を心配したり、電車が空いているぐらいで、喜んだりするぐらいの存在じゃないんだ」
と、普通に勤め人となり、家庭を持つことを、否定し、大学受験を終えたばかりの、
再会した息子に、
「偉大と呼べる言葉が似合う人生もある」
と語る。
 
あれから、29年が過ぎ、荒れ果てた日本が訪れた。
それは、心配していた、
大学進学、安定した生活、という
経済活動とは、かけ離れた、
自然災害という恐怖による、ありきたりの勤め人には、解決する能力などないと知りながら、
導入せざるを得なかった、原発が破損し、放射能汚染する我が祖国で、
生きていくしかないことを余儀なくされた、罪もない人々を救うことへと成りかわった。
 
早春スケッチブック」で、多くのことを語る、主人公の言葉にある、
普通の生きざまではどうにもならない世界が訪れてしまったんだ。
そのときのために、一所懸命になれる力を出し切れる人になることが、
人間の力なんだと、今こそ、思う。
 
みんな自分が可愛いだけ、自分のことで精一杯だから、
この世界は、足踏みをしたままの、
怠け癖と無関心による汚染されたココロを払しょくせねば、どうにもならない。