サダチルシア~sadachilucia’s blog

サダチルシア=サダチル(さだまさし+ミスチル)+パコデルシア

来生たかお~ピアノソロ弾き語り

梅雨明け。暑い夏がやってくるんだね。
 
土曜日は、前から、行きたかった、「高校生の頃聴いてたアーチストの追っかけ
をテーマに、
 
イメージ 1
 
久々に、日本橋へ降り立った。
2年とちょっとぶりかな。
この三井ホールのこけら落しは、
「シブイ大人のコンサート」と題され、
宇崎竜童プロデュースのイベントで、俺が、その宇崎の奥さんの阿木耀子さんと、
トイレの通路で、ニアミスしたのは、このブログでも書いた記憶がある。
あのときは、そのシブイ大人おいうのは、フォークの神様、岡林信康だった。
結構、途中、演奏ミスがあり、いまいちな印象だった。やはり、プロも緊張するんだな。
 
さて、来生たかお、とは。
俺が、高校2年生のとき、まだ、薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」という映画が、
ブレイクする前だった。
テレビの刑事ドラマのエンディングで使われていたのが、来生の世界い触れたきっかけだった。
その曲は、「Good Bye Day
 
また1日 何事もなくそれでいい...
 
という歌詞がとても印象的だった。
当時、高校生だった俺は、
挫折していた。
かつて、嘉納治五郎が開いた、あまりにも強すぎた、柔道の世界で、
兄貴は、大活躍していて、弟の俺も才能あるだろうと引っ張られたが、
3日で、退部。
その後、軽音楽部に入ったけど、なんだか、つまんなくて止めた。
そのころ、伊勢正三が、風を解散し、ソロになったときの武道館ライブを見たのが、
あまりにもインパクト強くて、そんなチャチナ部活なんて、俺には、どうでもよく思えてならなかった。
 
そんな音楽をおいかけるスタンスは、半端よりも少しは、マシだったぐらい、熱中していた。
そのうちの1人が、来生たかお だったのだろう。
 
実は、その時点で、来生は、
俳優 三浦友和 のアルバムの楽曲を依頼され、書いていたそうだ。
山口百恵と結婚し、日本で一番輝いていた俳優だった頃だ。
三浦が、個人的に来生の、デビューアルバムとセカンドアルバムを買って聴いていたそうだ。
つまり、来生自身は、まだ、アーチストとしては、売れていなかったが、
ライターという面では、一躍、注目をされていたのだった。
と、今回のコンサートで、来生自身のMCでのエピソードだ。
 
俺が、三井ホールに着いたころ、ジャスト、17:00
着席と同時に、ホールが暗くなり、
来生が、登場。
 
前から、5列目で、舞台上手の一番端だったので、
ちょうど、来生と向き合う、座席だった。
なぜか、正やんのときは、こんないい席、ビルボードだけだった。
 
2曲続けて、歌ったあと、
「東京は、一年ぶりです。
ごらんのとおり、ピアノがあって、こうして唄うだけなので、
しんどいかもしれませんが、よろしく」
と、本当、シンプルな、
ピアノだけのワンマンライブだったのだ。
 
途中、ピアノを離れ、
舞台下手の丸テーブルのコーヒーを飲みながら、椅子にかけて、
MCがあった。
 
ドレミファソラシ はイタリアで生まれた音階。
日本では、
ハニホヘトイロ
来生は、小学生のころ、ギターで、音楽にふれた、
ごく普通の、もしかしたら、さほど上位ではないサリーマン階級の家に生まれたという。
 
やがて、中学生で、ピアノに目覚め、現在に至るそうだ。
 
そんな音楽感の語りの中で、印象に残ったのは、
音階とは、
ドレミファソラシと、その半音を合わせても、たかが、
12音だけでできている
という話。
 
なるほど、
以外と少ないんだなと、思った。
 
唄う雰囲気と同じで、
MCも、マッタリと、小説を読むかのごとく、
静かに、丁寧な言葉づかい、
頭に焼きつく、巧みな表現も混ぜながら、
来生の詞の朗読のようにさえ思える、MC技術にさえ思えてくる。
 
その長いMCが終わると、既に、開演から90分が、経過していた。
 
浅い夢
夢の途中
を弾き、
最後は、
Good Bye Day
で、舞台を去った。
 
アンコールの手拍子もさほど長引かせず、出てきて、
再度、MC席へかけて。
 
「嗜好品のコーヒーで一番好きなのは○○です。でも缶コーヒーでも、いいんです。
ブラックコーヒーだけは飲めません。
煙草も吸いますが、最近は、楽屋でも、吸えないケースもあります」
と、なんだか、たばこ吸う人に見えなかったが、そんな一面もあるようだ。
 
このあたりが、ライブを見に行かないとわからないところだな。
 
そんな喫煙の取締の厳しさに端を発し、
駐車違反の話まで出て、
「世の中、もう少し、ゆるくてもいいのでは」
と、来生自身、南こうせつ、拓郎、など70年代フォークの、
全盛期のアーチストと年齢もほとんど同じで、
若い頃、自分たちが、築きあげてきた、自由な世界観と比べ、
現代社会の窮屈感を感じているように思えた。
 
気分は逆光線
マイ・ラグジェアリー・ナイト
シルエッ・トロマンス
が、聞けなかったのは残念
ただ、2時間、ステージに1人、
ピアノだけで、歌い続ける、来生たかお 
なかなか、見上げたアーチストだと思った。
 
半蔵門線に乗り込み、帰路についた。
テニス仲間たちは、アフター飲み会のようで、
2軒目から、参戦した。
 
いつもの、寿司屋で。
メチャ混みだったが、この日も最後の客。
ギター好きのマスターは、遂に、
マーチンD-28 を購入したと、語っていた。
 
俺も、ギブソンJ-50欲しい。
 
一夜明けて、日曜日は、午後から、
真夏のテニス
熱中症気味か、もう体力が持たなくて、
2時間で、リタイア。
やはり、膝を痛め、
長らく、定期的なテニスはしていないせいか、
スタミナがない。
 
それでも去年買った、
フェデラーモデルのラケットが、
もう重く感じることもなく、
よく振れてる感覚がある。
 
当時は、買っちまったものの、
手首は、痛くて、
よくもまあ、こんなラケットで、フェデラーは試合してるものだと思った。
コーチでさえ、
「自分も遊びでは、それ使うけど、レッスンでは、使えないです」
なんて言っていた。
 
俺はすっかり、このラケットに馴染んだようだ。
 
それはギターだって同じこと。
海外で生産されたギターは、ネックが太からろう。
日本のギターメーカーなんて、
ビンテージになりこっこないし。
やはり、自分の好きなギターを選ぶのがいいのだろうね。
 
もう一度、人生、与えてくれるなら、
アメリカで、
Gibsonのギターマイスターになりたい。
 
実は、テニスも、なぜか、
ラケットの魅力に取りつかれ、
自分で、ガットまで張るようになってしまった。
 
俺って、やっぱ、職人肌なんだろうな。