サダチルシア~sadachilucia’s blog

サダチルシア=サダチル(さだまさし+ミスチル)+パコデルシア

自家製・手作りもあれば、他力本願もある

 
雨燦燦と~
 
夕方、小ぶりを狙って帰宅。
 
燦燦と降る雨。おれの中では、9月から11月ぐらいの、
梅雨でも、夕立ちでも、豪雨でもない、
さりげに、それでいて、そこそこ降る、そんな雨だと解釈している。
 
テニス疲れも今日は、先週ほどではなく、
徐々に、体力も戻りつつあるのかもしれない。
 
USオープンと同じコートの素材という環境というのもあるし、
プロコーチが、きちんと指導してくれてのテニスだから、
当然、翌日、俺が、会社勤めであることも計算してくれての
メニューだというのは、もちろんだろう。
 
少しだけ寝ぼけて、月曜の朝が始まる。
小雨。
 
「その時はじめて」 作詞・作曲 小田和正 歌 オフコース
 
月曜の朝 いつものように 君が出ていく
9月の雨にぬれた道を 君が駆け抜けてく
 
人ごみの中に君が消える
その時初めて 誰より
 
AH こんなこと今まで気づかずに
 
そろそろこんな曲が、頭をよぎるんだ。
中学3年の時だった。
オフコースが、「さよなら」の大ブレイク前の、
「愛を止めないで」 「眠れぬ夜」で、
少しずつ、ラジオで、存在を知り、
ライブでのハモリがすごくかっこよくて、
一方で、受け入れ難い、高音の男性ボーカルだった。
 
あとは、太田裕美の「セプテンバーレイン」とかね。
 
この時季になると思いだす歌がいくつかある中で、
高校一年のとき、5人編成に変わった初のオフコースのファーストアルバム、
「Three and Two」の挿入歌「その時はじめて」が、
せつなくて、とてもいい曲だと、今更ながら思うね。
 
意味がよくわからない、小田和正の詩。
 
だけど、曲づくりが先というオフコースの制作からすれば、
詞はあまり考えないほうがいいのかなとか思っていたけど、
いざ、近年のライブのMCでは、
「曲作りは大変だけど、詞はもっと大変」
と小田は語る。
 
高校生の頃のように、
何か、何もわからないまま、
大人になりたくてしょうがなかった自立心がほしい。
 
ひとりで、自分の力で、すべてを、支配したくてしょうがなかった。
学生集会なんて、バカらしくて、
いつもフェンスをよじのぼり、
路肩につけていた、トラックの荷台に飛びうつり、
学校から脱出していた。
 
いざ、おとなになると、
こんなにも一人の力なんて、世の中で、
何の役にも立たないことなんだと知ると、
皆、サラリーマン、たらたらやってるのがいいやって、
他力本願になるんだと思った。
 
こうして、50年も生きていると、
自力も他力も、世の中には、必要なんだと思う。
 
若者が、自立しようとする姿は自然なんだ。まともなんだ。
大人が、いざ世の中を渡り、自分のちっぽけさ、非力を知ることも自然で、まともなんだ。
 
改めて、そんな伸びゆく若者と老いゆくベテランの
ハザマにいる自分の在り方を、見つめて、
答えを出したいと思うぜ。
 
今宵は、雨天で、下町商店街で、
もつ煮込みと、串焼きを買って帰った。
 
今夜のレバ焼きはなんかいつもより旨い 無愛想な大将も大事に、焼き上げていた。
煮込みも、フワが入っていて、シルバーレインで、冷えた体を温めてくれる。
これは他力本願
そして、自分で、湯がいた、モロヘイヤのおひたし。
これは、手作りに近いものがある。
 
そういえば、昨日、テニスにいった先のオーナーの奥さんは、
自分の畑でとれた、空芯采を、100円で、3束提ぐらい供していた。
「最近は、モロヘイヤ、毎日、湯がいて食ってる」と俺がいうと、
「エライ」と、奥さんが、言う。
ここのテニスハウスも、かれこれ創業26年だそうで、
テニスしにくる客に、
自家製の野菜を、こうして、日曜日になると提供してくれる。
 
テニスコートもとても奇麗だし、
本当、世の中には、本物がある。
 
音楽もまた、小田和正が作詞作曲の楽曲が今なお、
俺の心を打つように、
自家製そのものだ。
 
仕事。
 
一見、サラリーマンと言うけれど、
皆、どこかオリジナル(自家製)のはず。
 
自家製で、もっと、世の中に、
庭でとれた、空芯采のように、
自分の技術は
ありがたがられるべきなんだと。
 
それが言いたい。