サダチルシア~sadachilucia’s blog

サダチルシア=サダチル(さだまさし+ミスチル)+パコデルシア

非日常に慣れる重要性~あかずの踏切の正体と情報遅れ

夏にカットした髪も伸びきって、
今月は、誕生月半額サービスだから、
専属スタイリストの美容院へ出向いた。

いい天気。
チャリンコも信号待ちもなく快適だった。

しかし!
もうあと少しの場所。
踏切が開かない。

イメージ 1

しかも、なんか、珍しい、一両だけの電車が停車しているのが、の写真からうかがえるね。

ここは、北千住。東武スカイツリー線の踏切。
そして、この踏切は、2重になっていて、
1個踏切を超えただけでは、だめで、
下りの踏切は別途あるんだ。
だから、上り、下り、両方の踏切が同時に上がったときしか、
通行できない。

最初のうちは、写真の中央の珍しい、電車が停車していたのを
スマホで撮影しイラつきもまぎれていたが、
待てども待てども、列車が過ぎては、
また次の列車の方向指示器が点灯し、
踏切は開かない。

やむなく、数百メートル先の、駅ビルから、反対側へ抜けられる通路へ行き、
3分遅れで、美容院へたどりついた。

「いつもどおりで」
と言えば、だいたい通じるんで、
専属のスタイリストについてもらうのが、俺みたいな、
無精者にはちょうどいいんだ。

ようやく、俺も、白髪が生えてくるようになり、
鏡で見える範囲は、
自分でカットするのだが、
後頭部は見えないので、
スタイリストさんに、
「白髪あったら、切って」
と頼んだ。
チェックしたところ2本あった。

先日、社会人なりたての頃から27年も
使ってきたドライヤーが、
ついに、温風がでなくなったというと、
「よければ、うちと同じの取り寄せますよ」と、
髪のプロも使うドライヤーを案内してくれたが、
いい値段だったんで、ここでの購入は、諦めた。

最近は、マイナスイオン付きドライヤーもあるそうで、
こういうところへくると、いろいろ髪のケアの情報が満載だ。

最後にシャンプーのとき、
炭酸ガスを使ったシュワッとする、
シャワーで頭皮洗浄できる機械を、今日から稼働なんで、
500円ですとすすめられ、今日は、カット代が安いから、快諾。

俺自身、10年前から頭皮の湿疹に悩まされ、
皮膚科へ今尚、通院していうr状態だ。

夏は、汗、
冬は、乾燥、
これらが、俺みたいな、細い髪で多く生えているタイプは、
この影響が大きいようで、
夏は汗はこもるし、
冬は細い髪は乾燥しやすく、保湿バリヤ役にならず、
頭皮もすぐ乾燥してくる。

そんなんで、この炭酸ガスのテクノロジーを試した

最初は、弱めで、あててもらい、
徐々にパワーを大きくし、
マックスまでくると、
ぼこぼこと、
温泉が湯船で湧いているような、
ジェットバスからの水力を頭に浴びているような感触で、
なるほど、これなら、
頭皮の細かいところの汚れを細いシャワーで取り除き、
強いシャワーで、マッサージみたいな、
まさに、頭用ジェットバスだった。

なるほど、カット後のサッパリ感が、
快適だ。
昨日だったかな、「ぶらり途中下車」(日テレ)で、常磐線沿線の旅で、
亀有で、レポーターの舞ノ海が下車し、
床屋で、
両さん眉毛(こち亀の両津かんきち)をマジックで、500円で書いてもらう、
というサービスを受けているシーンがあった。

ある意味、それと似たようなもので、
シャンプー後のサッパリ感に500円もいいかもと思った。

帰り道。
また、同じ、踏切へ向かう。
またしても、踏切が締まっているタイミングだった。

やはり、なかなか開かない。
すると、↑の写真に移っているメット被った警備員が、
メガホンで、
ただいま、ダイアが乱れて、踏切は飽きません、迂回をお願いします
と、発令した。

遅いんだよね、美容院へ行く時から言えばいいのに。
帰りの段階で、ようやく、メガホンをとった。

やはり、日本人て、シャイな民族なのかな。

もっと早く、言えばいいのに。

で、俺は、またしても、北千住の駅ビルから、反対側へ出る通路をとおり、
この踏切はクリアした。

ところが、
次の駅、牛田も、
同じラインなんで、やはり、電車が、
停止して、動いておらん!

まったく、せっかく、髪はサッパリしたのに、
どうしようもない。
牛田の踏切は、京成線関屋も隣接し、
ここも、交錯した踏切なんだ。

さすがに、待ちきれない車は、無理に、方向転換をしていた。

俺は、さらに次の堀切へ向かい、
まずは、最初の関門。
土手に上らないといけなくて、
チャリを階段から押して土手に上った。

荒川にかかる東武線の鉄橋を土手沿いにくぐり、
これで、東武線の影響は回避。

次は、いつもテニスへ行くときで利用している
堀切橋へ出れば、なんとかんると、
土手を走り続けた。

堀切橋に出て、ようやく安堵感が湧いてきた。

かくして、美容院から一時間近くかけて、
帰宅できた。

でも、俺は特に、困難な思いは抱かなかった。

最近、こういう非日常に、
適応できる能力が身についたのかもしれない。

しいて言えば、あの警備のおっちゃんが、
もっと早く発令してりゃ、
国道4号まわりで、なんなく帰宅できたのに。

機械的に毎日、決まった時間に起床し、
決まった通勤経路、
決まった就労時間、
決まった仕事内容、
それらが、非日常への適応力を、
低下させる原因があると言える。

すべては、あの見たことも無い、
1両だけの電車の停車した場面が、
この怪しげな出来事の誘いだったと言える。

まるで、UFOだ。あの列車は。

だけど、このごろ思う。
人間って、同じことをすることが出来ない生き物なんだと。
歯磨きひとつ、
毎度、同じ回数、同じ箇所を磨いているわけではない。

ギターだって、毎度、微妙に、ストロークも、アルペジオも、
違う弾き方していたり、
テニスだって、絶対無二の一球という言葉のとおり、
同じ打球なんてありえない。

自然物である人間だから、
実は、同じ人間はいないのだから、
作り出すものも違うし、
大量生産された物とて、
細かいところまで見れば、
きっとどこかが違うのではなかろうか。

それを無理やり、
同じ世界観、
同じ思い、
同じ工程、
同じ成果物、
を目指す傾向にあるのが民主主義が引き起こした、
窮屈なストレス社会となった要因の一つのように思える。

非日常であることが、
日常なんだと
そう思えば、
また何か、今日のような
列車のアクシデントも、
珍しい、1両だけの電車を見る
機会だったり、
いつもは車で通る堀切橋も、
自転車で通って、景色を見る余裕が出来たり、
何やら、目線を変えて、
非日常な発想から生まれる小さな資産が、
きっかけで、
新たな思想に政治家たちも、
気付いてほしいものだ

経済政策の教科書なんてないんだと。