サダチルシア~sadachilucia’s blog

サダチルシア=サダチル(さだまさし+ミスチル)+パコデルシア

人そのものは不完全でも仕事は完璧でないと~内村航平6連覇


ハロウィン、随分、拡張したんだね。
渋谷は、まるで、元朝参り(茨城弁)の明治神宮みたいな様だ。

俺も歳老いたんだな。
それが何の意味があるのかわからん。
娘が幼稚園の時は、
ハロウィンパーティが、園側で催しが企画され、
親子で参加とかあったけど、
その渋谷なる場所で、なぜ、
日本の不特定の人々は、
ハロウィンなる思いに浸り、
仮装して、何やら、徘徊するのが風習となってきてるのか?

憂さ晴らしのようなものなのか?
何かをアピールしているのか?

今日は、午後テニス。
参加者の1人が、軽い交通事故で、来るのが遅れて、
仲間内で、過去の自身の車ぶつけられたとか、
そんな経験談で、華やいだ。

案外、生真面目に交通ルールを順守している人が、
もらい事故にあって、免停処分を受けたり、
修理代の請求のやりとりで難儀したりと、
被害者の善人が頭を抱え、
加害者は任意保険にも入っておらず、
その場限りの解決で済ませる者もいれば、
逃げようかと、模索しつつ逃げられないで、
示談で済ませるケースがあるようだ。

身近で便利なが、事故を起こす危機と背中合わせ。

ある意味、渋谷で、仮装して歩行しているほうが、
平和なのかもしれない。

スポーツの秋は、テニスだけでなく体操の世界でも。
内村航平の世界大会6連覇は、圧巻だった。
まさに、パーフェクトという、
表現があてはまるタイプのスポーツ選手。

6種目のうち、最後の鉄棒だけ、
演技を一つとりやめたのも、完璧に勝つため。
今回の会場の鉄棒の設置状態が、
慣れている大会の状態と異なり、
遠心力から高さへ変えるのが難しい鉄棒の設置条件のようで、
団体戦では落下していることから、
その落下のときの演技を抜いての6連覇。

スポーツではよくみられる勝負の場面だ。
テニスとて、強打だけで、勝てるわけではない。

今日も、なかなか、ハードヒットが決まらず、
フラストレーションがたまっていたが、
ようやく相手のプレーの落とし穴も見つかり、
ループボールで応戦していくうちに、
勝てると確信した。

大企業の不正なマンションの施工で、
話題となっている。

バブル崩壊、コスト至上主義、
ものづくりを完全にやっていたら、
赤字になるのが、今の企業の抱える問題で、
何かを抜いたり、流用したりで、
安く仕上げたがために、
時を超えて、
大きな問題が発覚したのだ。

そう、体操の演技のように、
ライバルと点差があるから、
演技を一つぐらいは抜いて、ポイント差で結果が出るのであって、
ものづくりで、そんなダマシは通用しません。

人間なんて完璧に生まれてきやしない。
多くの欠点を持っているものだと俺は、
まるで、自分を不完全すぎるものだと思っている。

体が弱く生まれてきたり、先天性の病をもっていたり、
五体満足に生まれてこないのが人間で、
昆虫とか動物のほうが、
よほど、人間以上に、
完璧に繁殖しているのではなかろうかと思えてくる。

そんな不完全な生き物が、そうやすやすと、
完全なものを作ることなんてできないのは当然なんだろう。

空を飛ぶ鳥が、鳥同士でぶつかるとことなんか見たことないのに、
交通事故なんて、身近なところで、しょっちゅう起きている。

昆虫や動物に医者も警察もいらないで、生きているというのに、
人類は、そういう生き方ができない。

内村の演技を見ていると、
なぜ、あんなに、鉄棒の高いところで、手を放しては、宙に浮き、体をひねり、
また鉄棒を握り、体を回転させ、
鳥人のように振る舞えるのだろうと、
瞬間的には、
人間も鳥のように羽ばたいていることがあるのかもしれない。