サダチルシア~sadachilucia’s blog

サダチルシア=サダチル(さだまさし+ミスチル)+パコデルシア

青春は燃える陽炎か~聖地つま恋が閉幕

なんといっていいのかわからないな。

音楽に目覚めた頃、既に、
かぐや姫は解散していたのだが、
メンバーの一人、伊勢正三にあこがれて、ギター少年目指したあの頃。

吉田拓郎の企画の「つま恋」という、聞きなれない場所、
静岡県掛川市の、だだっ広い、原っぱで、
朝までのコンサートを、やるという。
解散していたかぐや姫が、にわか再結成、
伊勢正三は、大久保一久と、でも演奏をした。

これを機に、毎年、夏になると、野外コンサートが、
開かれるようになった。

俺自身は、2009年の、
南こうせつの「サマーピクニック」が、
最初で、最後のつま恋参戦となった。

サマーピクニックは、通常、こうせつの故郷で、行われていたが、
こうせつの還暦コンサートということで、
この、聖地つま恋で、行われたのだ。

チケットはとれていたが、
当時、仕事が忙しく、
当たり前のように、土曜日は、出社していた。

午後、どうにか、新幹線こだま、に乗り、
掛川まで、行った。

送迎バスは、既に、なくて、
タクシーで現地入り。

イメージ 1
これが、サダチルの初めて、足を踏み入れた、つま恋

フォークギターで、こうせつが、伊勢正三が、拓郎が、
圧倒的カリスマのような人に見えた。

その後、伊勢正三オンリーで、
中学2年の時から、追い続けてきた。

今尚、ソロで、全国を昔の曲を従えつつ、
さらに、一時、リタイアしていたが、
ソロアルバム「海がここに来るまで」
で、見事、復活し、
ゆっくりと、自分の心のままに
音楽活動をしている、伊勢正三

つま恋は、終わっても、
フォークは、きっと終わらない。

俺自身、今となっては、
ライブ活動もしなくなり、
家で、ハンドメイドのフォークギターで、
暇つぶし、している。

大学生の頃は、
渋谷のEggmanのような、100人以上の、
キャパじゃないと、レンタル出来ない時代で、
俺みたいな、サークルのユニットは、
ライブをできる場所がなかった。

しかし、団塊世代の定年で、
フォーク酒場ブームが、始まり、
60過ぎのオヤジたちが、
締まっておいたギターを引っ張り出し、
酒場の隅のミカン箱みたいなステージで、
ギター片手に、拓郎、岡林、こうせつ、正やんに、なりきる。

俺なんかは、団塊よりも、ずっと後の世代だったが、
そんな、おっちゃんたちに、交じって、
そのブームにのっかり、
ようやく、学生時代、不完全燃焼だった
ライブなるものを、実現できたんだ。

そんなフォーク酒場をともにした音楽仲間たち、
きっと今も、元気で、どこかで、
ギターを握りしめていることでしょう。

サダチルも、今尚、
オリジナルのメロディーが、浮かんでは、
スマホに録音して、
いつの日か、ワールドツアーでもやろうかと、
夢だけは、持ち続けています。

ギターも未だに、下手だし、音楽の知識もさほどないのに、
なぜか、中学生の頃から、
空から、メロディーが、降ってきて、
それを、形にしないと、
頭がおかしくなりそうで、
親父に中学2年のとき、ギターを買ってもらった。

40代前半に、そんなフォークソングバーみたいのが、
あちこちできて、
出演出来たことが、
とてもいい思い出です。

でも、心のどこかで、
何回、伊勢正三のナンバーを演奏しても、
伊勢正三には、なれない。

ライブハウスで、演奏しても、
自分は、自分でしかない。

いろんな事をやってみて、
自分探しの旅をしてきたのかもしれない。

それは、伊勢正三自身、ライブのMCで語ったこともある、
加山雄三に憧れていた」
ジョン・レノン自身、エッセーで書かれていたが、
エルビス・プレスリーを超えたいと、思っていたが、監獄ロックは超えられない」
つまり、当人には、なれない、
自分なりのアーチストとしての自己実現だったのではなかろうか。

サダチルは、サダチルなんだ。
伊勢正三ジョン・レノンには、なれない。

イメージ 2


つま恋の、こんな光景、
見覚えある人も多いことでししょう。

これで、青春も終わりか。。。な