サダチルシア~sadachilucia’s blog

サダチルシア=サダチル(さだまさし+ミスチル)+パコデルシア

生きてるうちが花なんだぜ



「生きてるうちが花なんだぜ」
詞・曲 宇崎竜童

Woh woh woh
生きてるうちが花なんだぜ

うたってるかい 踊ってるかい
笑ってるかい 泣いてるかい
怒ってるかい 悩んでるかい
愛してるかい 悲しんでるかい
Woh woh woh
生きてるうちが花なんだぜ
Woh woh woh
生きてるうちが花なんだぜ
花なんだぜ


ひとりぼっちかい 落ち込んでるかい
迷ってるかい 拘ってるかい
呑んでるかい 酔ってるかい
盛り上がってるかい バカやってるかい
Woh woh woh
生きてるうちが花なんだぜ
Woh woh woh
生きてるうちが花なんだぜ
花なんだぜ


繋がってるかい きれちゃったのかい
はまってるかい 飛んでるかい
生きてるかい 生きているかい
生きてるかい 生きてるかい
Woh woh woh
生きてるうちが花なんだぜ
Woh woh woh
生きてるうちが花なんだぜ
花なんだぜ

最近、はまってるアーチストが、
デビューし、
その後、ソロとなり、
今尚、
ギター1本で、弾き語りをして、
ツアーを続ける
宇崎竜童 御年71才。

今年の7月に埼玉会館で見たばかりではあるが、
近所の浅草公会堂へ来るというので、
ぶらり見に行った。

会場は、ほぼ満席のようだった。
埼玉会館のときとは、少し、趣向が変わって、
リラックス感があった。
そして、やはり、演芸の街でもあるので、
宇崎も少し、ノリのいい曲を集めたようだ。

1曲目は、いきなり
「港のヨーコ...」だった。
前回は、アンコールだったのに。

終盤は、ほぼ、音楽教室と化し、
宇崎の指示に合わせ、
4曲ぐらいは、全員参加型の合唱と輪唱となった。

中でも、際立ったのが、
この曲
生きてるうちが花なんだぜ

シンプルな歌詞、覚えやすいメロディで、
ありふれた言葉で、
問いかけてくる。

生きてるかい?
泣いてるかい?
笑ってるかい?

と、当たり前の毎日の人の感情すべてが、
含まれているかのようだ。

しかし、その感情が、現代社会では、
そうやすやすと表現出来ないのではなかろうか?

怒れば パワハラ
唄ったり叫んだりすれば モラハラ
どこにも心の居場所がなく、
静かに貝のようにしているしかないのではなかろうか?

宇崎曰く、
50代半ばぐらいから、
自由にはじけたという。
それまでは、社会の規律等で、理性を尊び、
生きてきたという。

総選挙から、たかが1か月半で、
旋風を巻き起こすかと思われた、
希望の党が、小池代表が辞任。
トランプ大統領来日。その後、アジア歴訪。
と、日本国内だけでなく、世界が動いた。

大谷翔平は、メジャーへ。
入れ替わるように、清宮がプロ野球界へ。

世界は、動いている。
その背景に、人が生きているという、確固たる根拠がある。

窮屈な思いをしている人。
何もかも思い通りに生きている人。
様々な、人間模様がある。

まさに、この宇崎の歌は、
最高のメッセージだ。

生きることの素晴らしさすら、味わえずに、
誰もが、泣いたり、時には少しだけ笑ったり、
痛い思いしたりしている。

ならば、生きているうちに楽しんじゃおう!
やりたいこと、好きな事、やっておこう!
これが、答えに近いように思える。
生きているから、出来る事、やりたいこと。
生きているから、食べたいもの、飲みたいもの。
全部、生きていないと、結果はどうあれ、やる機会はないのです。

今日は、テニス、プロコーチと、プライベートレッスン。
自分の出来ない、ショットやサーブの球種を練習した。

確実に成果を上げた自分に気が付く。

夏の頃から、テニスのやりすぎで、膝を痛めてしまい、
ろくすぽ走ることも出来ない。
そんなんで、少し、
走る練習はせずに、
ラケットワークを主体に、
新しい、ショットを身につけた。

膝の痛みも、生きている証。
その痛みをばねに、
新しい技術を習得し、
また、試合で勝てばいいのだ。

宇崎の名曲を、ぶらり、立ち寄った、
浅草で聴けて、
ホント、この街に住んでてよかったと思った。

この年で、まだ、新しい、ショットを身に着けられて、
テニスやっていてよかったと思った。

何もかも、生きていればこそ。

成功も、失敗も、
楽しいことも、悲しいことも。

生きてるうちがなんだぜ!